運が悪かったとみるか、それとも何かの警告とみるか

先日、夕方息子(2歳)を保育園に迎えに行く途中で事件は起きた。
18時までに迎えに行く必要があり、それを超えると延長料金が発生するということで、車で少し焦りながらと保育園に向かっていた。
そんな中、信号が黄色から赤に変わる瞬間、急にブレーキを踏むと危ないなと感じ、急いでいたこともあり、行ってしまえとやったら、後ろからパトカーがやってきた。
要するに、信号無視でつかまったのである。
 
言い訳をすればいくつかあるし、そこは許してよと思いもなくはなかったが、悪いのは自分なので仕方なしと諦め、違反切符の手続きをしてもらった。
罰金の振込の用紙をもらって、現場を後にするにすることとなった。
結局、保育園の迎えも規定の時間には間に合わず、(少額ではあるが)延長料金が発生。踏んだり蹴ったりの夕方となった。
 
さて、今回のペナルティ、自業自得といえばそれまでだし、運が悪かったという気持ちも正直ある。
しかし、一方で、これは何かの警告かもしれないとも思っている。何かもっと大きな事故を、今回の件で免れることができたのかもしれないと。
 
そう思わないとやってられないと、精神安定のためにそう思おうとしている節もあるのだが、ここは真摯に自分の運転を振り返る機会にしたいと思う。
 
まずは、今回の件の反省。
交差点ではスピードを緩めて、いつでも止まれる体制にしておくこと。歩行者の信号も確認しながら、いつ赤に変わるのかを予知しながら運転することを徹底するようにしたい。
 
加えて。
私が車を使う機会は、通勤含め仕事での移動と、子どもたちと出かけるときの2パターンがほとんど。
どちらにおいても、時間に余裕をもって移動することがまずは一番大事か。とくに子どもたちとでかけるときにはアクシデントで予定通りに進まないことも多い。そのときに焦って時間を取り戻そうとするのではなく、予定を変更したり、減らしたりして、時間に追われないようにしたい。
また、子どもたちとの移動のときは、とくに下の息子がチャイルドシートから抜け出そうとすることが多い。あと1年くらいは、言うことが伝わらない状況が続きそうなので、チャイルドシートから抜け出してもこまめにまた乗せるということをやっていきたい。
 
正直、ちょっと落ち込んだりもしたのだが、これをいいきっかけにして、安全運転を心がけたいと思う。
 
ということで、違反切符を切られて反省した、という話でした。
 

急に日が長くなってきたように感じる

早いもので、1月も中旬から下旬に入ろうとしている。年末年始モードは完全に終わり、通常モードで日々が進行している。
よく1月は行く、2月は逃げる、3月は去る、なんて言われるが、気づけば新年度となっていそうなので、1日1日大事にしながら過ごさないといけないな、なんて思ったりしている。
 
さて、そんな中、最近やけに日が長くなってきているように感じる。
私の住んでいる地域では、ちょっと前まで17時になるともう暗いなと思っていたのだが、その暗くなる時間が30分くらい遅くなってきた。
日の長さなんて急に変わったりするものではないだが、同じ時刻なのに、いやに明るいなと思ったりするわけである。
 
今シーズンの冬至は12月22日で、そこから1ヶ月くらいしか経っていないのだが、もっとも暗い時期というのは脱しつつあるという感じがする。
 
以前、このブログの記事で、日の長さと変化を感じる時期を以下のようにまとめてみたのだが、今回の感覚とちょっと異なる。
 
4月末~8月末:日が長く、かつ変化をあまり感じない期間(4ヶ月)
8月末~10月末:日がどんどん短くなっていく期間(2ヶ月)
10月末~2月末:日が短く、かつ変化をあまり感じない期間(4ヶ月)
2月末~4月末:日がどんどん長くなっていく期間(2ヶ月)
 
日が長く感じはじめる時期が2月末ではなく、1月末ではないかということで、そこを修正すると以下のようになる。
 
4月末~8月末:日が長く、かつ変化をあまり感じない期間(4ヶ月)
8月末~10月末:日がどんどん短くなっていく期間(2ヶ月)
10月末~1月末:日が短く、かつ変化をあまり感じない期間(3ヶ月)
1月末~4月末:日がどんどん長くなっていく期間(3ヶ月)
 
ちょっとバランスが悪いのだが、私の感覚を重視して、とりあえず暫定的にこのようにまとめておきたい。
 
おそらく、体感的にはこれからどんどん日が長く感じるようになるのだろうが、その長くなる感じがいつまで続いて、どのタイミングから変化を感じなくなるか、忘れないようにチェックしていきたいと思う。
 
ということで、夕方暗くなるのが遅くなってきているように感じる、という話でした。
 

2歳の息子のコロナワクチン接種備忘録

先日、息子(2歳)のコロナのワクチン接種に行ってきた。
 
実は、息子のワクチン接種に関しては、どうしようか迷っていた。小さい子どもということで、重症化のリスクはほぼゼロに近いと思われ、わざわざ打たなくてもいいかなとも思っていた。
しかし、昨年の12月から保育園に通うようになり、それからすぐに風邪をもらってきて、それが家族に一巡したときには、これがコロナだったら大変だと思ったし、また保育園でもコロナの感染者が出ているようだったので、やはり接種しておこうということで、年末に予約をした。
重症化リスクを回避するためのワクチン接種というよりは、インフルエンザと同じく一時期に家族が全滅するのを避けるために接種の判断をした。
 
1つ想定外だったのが、ワクチン接種をした日は保育園で預かってもらえないこと。
前日に、ワクチン接種があるので遅刻すると連絡すると、ワクチン接種した日は預かることができないという説明を受けた。これはコロナに関わらず、インフルエンザのワクチンや他のワクチン全般でのルールということで、言われてみれば、副反応のリスクがあるのでやむを得ないのだが、前日だったのでちょっと慌てることになった。
 
さて、ワクチン接種は、最寄りの小児科で実施。
通常の診察前の朝早い時間での接種ということで、一般の診療で来ている親子も多く、小さい子が多くマスクもつけることができないので、ここで風邪もらったら嫌だなと思っていたのだが、とくに待つこともなく接種完了。車で15分待機して、問題ないということで、帰ることにした。
息子も泣くことなく、接種後も機嫌悪くなかったので助かった。
 
副反応がどうなるかは少し気になるが、娘(小学1年生)の接種のときも、とくにそれらしきものはなかったので、おそらく大丈夫であろう。
4歳以下の子どもは3回接種が必要ということで、次回は3週間後。その次の3回目は、さらにそこから3ヶ月後ということで、少しめんどくさくはあるのだが、家族みんなが高熱にうなされるよりかはいいだろうと思うので、とりあえずここまでは済ませておきたい。
 
そして、この週末には娘の3回目の接種が控えている。こちらも学校での感染リスクが高いことを考えて接種することに。
今後は、子どもたちも含めて、半年に1回くらいの頻度でのワクチン接種になると思われるが、年に1回くらい(しかもインフルエンザとの混合接種)にならないかなと思った次第である。
 
ということで、2歳の息子のコロナワクチン接種に行ってきた、という話でした。

「~のせい」という、原因と責任が混同した言葉

昨日のこのブログの記事で、最近娘(小学1年生)がよく使う言葉で気になるものを挙げてみたのだが、もう1つあったので、ここで紹介しておきたいと思う。
 
それは「~のせい」というもの。
例えば、息子(2歳)が機嫌よく遊んでいて、娘がわざとではないのだけど息子にぶつかってしまって、息子が泣き出したようなとき、私が娘にぶつからないように注意しようねと言うと、娘は「私のせいでしょ」と言ったりする。
別の例としては、レストランとかで短時間息子を見ておくように娘にお願いしていたのに、きちんと見ていなくて、その間に息子がテーブルの飲み物をこぼしてしまったとき、娘を注意すると、「私のせいじゃない、弟のせいだ」と言ったりする。
 
この「~のせい」という言葉、なんで気になるのか。それは、原因と責任の両方の意味合いが混同されている言葉だからだ。
 
どういうことか。
「~のせい」と言ったとき、この「~」には人の名前が入るのだが、この人が起こった結果の原因とつくっており、かつその人の責任であるという意味が含まれているのである。
この原因と責任が混同されていることに、違和感を覚えるのだと気づいた。
 
1つめの例の場合、娘が息子にぶつかって泣かせたとして、原因はたしかに娘にある。ただ、故意ではないので私としてはそれを咎めるつもりもなく、ただ今後は注意しようねと言っただけで、責任と問うたつもりはないのだが、自分が悪いんでしょという自虐の意味で「私のせい」という言葉が出てしまっている。
 
逆に2つめの例は、飲み物はこぼしたのは息子のほうで、原因は息子にある。しかしながら、それをきちんと監視する役割を果たしていなかったので、それを注意したのが、それは伝わらず、「弟のせいだ」となってしまっている。
 
これは大人でもきちんと切り分けて考えられる人は少ない。原因と責任をごっちゃにしている人は多い。
小学1年生の子どもに、原因と責任を分離して考えろと言っても難しいとは思うのだが、「~のせいだ」を多用すると、いつでも原因をつくった人が悪いとなってしまいそうで、ちょっと危険だなと思っている。
原因と責任の概念の違いを理解させるためにも、何度も諭すことが大事なのかなと思うので、気づいたときにしつこくおしえていきたいと思った次第である。
 
ということで、「~のせい」という(意味合いの)言葉は、あまり使わないように、そして使わせないようにしたい、という話でした。

小学生の娘がよく使う、気になる言葉

うちの娘も去年小学生になり、生意気盛りである。
語彙が増えて、コミュニケーションが円滑に取れることと、生意気な発言が増えることは、当然のことながら相関するので、小さいころとは別のイライラが起こってしまうのだが、これは仕方がないことか。
下の息子(2歳)に対しては、もう少しコミュニケーションが取れるようになると楽になるのになと思ったりもするが、一歩引いて考えると、ないものねだりだったりする。
 
さて、そんな生意気盛りの娘は、すぐに口ごたえしたりするのだが、その中でも最近よく口にする言葉で気になるものがいくつかあるので、今回はそれをまとめておきたい。
 
1つめは「無理」。
何かやるようにこちらが言うと、すぐに「無理」を発する。
歯をみがきなさいとか、着替えなさいとか、片付けなさいとか、こちらがやるように言ったことに対して、すぐに「無理」と答えるのである。これは、ただやりたくないだけなのに、能力的にできないという言葉を使ってごまかしていることに、私は言いようのない違和感を覚えるのである。
 
なぜこれが気になるのか。ちょっと考えてみたが、おそらく無意識のうちに自分の思っていることを正確に言葉にすることを巧妙に避ける癖がついてしまうからだと思う。そしてそれは、人をだますだけでなく、自然と自分もだますことにつながるのではないかと、私自身不安を感じていることに気づいた。
 
もう1つの気になる言葉は「ずるい」。
これは、とくに息子(娘から見ると弟)との比較の中で使うことが多い。
例えば、私が息子を抱っこしていると、「(弟だけ抱っこして)ずるい!」となるわけである。娘が小さいころには、息子以上に抱っこしていたのだが、彼女としてはその記憶はすっぽりと抜け落ちている(もちろん覚えていない時期のものもあるだろうが)。
 
この「ずるい」という言葉、非常に危険な言葉だと思っていて、常に誰かと比較して、自分を幸福度合いを相対的に評価する癖がついてしまうと危惧している。
この言葉を多用していると、それは本当に自分がほしいものなのかどうかという検証なしに、隣の誰かがもっているから自分もほしいという思考になりがちで、常に他者との比較で生きることになってしまう。
これは大人でもこういう思考になりがちな人は多く、自分のものさしではなく、他者と比較しやすいものさし(例えば、お金とか、車や家とか、結婚・子育てとか)で自分の幸福度を計りがちになってしまう。
そうではなく、自分は本当は何がほしいのかを考え続けることが、幸せな人生をつくっていくことにつながると思っているので、あまりこの言葉をつかってほしくないと思うわけである。
 
と、こんな感じで、娘が多用する言葉に違和感をもつことが多くなってきた。
言葉が人をつくるという側面は多分にあるかと思うので、気になる言葉が出てきたときには、都度都度注意をするというか、なぜその言葉を使ったのか確認していく作業を怠らないようにしていきたいと思う。
 
ということで、娘がよく使う言葉が気になる、という話でした。

最新のランニングシューズを使ってわかる、素人こそいい道具を使うべき3つの理由

私の今年の目標の1つに、フルマラソンでサブ4を達成する、がある。そのために毎月100km走りたいと思っているのだが、まずは1月の前半を終えたこの段階で60kmをクリア。まあまあいいペースではしれているのではないかと思う。
1回あたりに走る距離も、去年に比べるとかなり長く走れるようになっていて、手応えを感じている。
 
順調なスタートを切った、今年のランニングだが、それを支えてくれているのがランニングシューズだと感じている。
昨年末、ランニングシューズを2足新調。どちらも最新モデルのもので、それらを使って年末から走っているのだが、この新しいシューズが私のランニング生活を支えてくれていると言っても過言ではない。
 
では、そんな最新ランニングシューズの何がいいのか。その理由は3つあると感じている。
 
1つめは、パフォーマンスが上がる、ということ。
要は早く走れるということである。前に使っていたランニングシューズは4年前くらいに買ったもので、それをずっと使っていたのだが、ここ数年ランニングシューズはNIKEの厚底シューズのおかげで、各社性能がかなり上がったとのこと。そういったシューズのアップデート事情を最近まで知らなかったのだが、実際履いてみると、これまでとはかなり異なった思想でつくられていることがわかった。
自分が思っているより1kmあたりの時間が数十秒速く走れている実感があり、私のようなかなり素人寄りの市民ランナーでも、その恩恵に預かることができている。いや、素人だからこそ道具によって上がる余地が大きいのかもしれない。
 
2つめは、ダメージ(ケガ)が減る、ということ。
これもパフォーマンスの一種と言えるかもしれないが、身体へのダメージがかなり少ない。これが一番大きな、最新ランニングシューズの恩恵ではないかと感じている。
これまでシューズだと10kmを過ぎると、膝が痛くなってきて、だんだん走れなくなっていたのだが、シューズを変えてからは、とりあえず15kmを超えても痛みがない。おそらく20kmくらいであれば問題なく走れそうである。
私はこれまで数回フルマラソンの大会に参加したことがあるのだが、いつも20km超えたあたりから膝が痛くなり、きちんと走ってゴールしたことがない。最後は歩いて、制限時間ギリギリでのゴールばかりで、とても「完走」したとはいえない結果ばかりだったのだが、最新のシューズのテクノロジーを活用すれば、ケガやダメージも(ある程度は)コントロールできるのではないかと期待している。
これまではシューズがボロボロになるまで使っていて、今回も靴底が破けたので新しく買い替えたのだが、身体のできていない素人だからこそ、もう少し早いサイクルで新しいシューズに替えて、最新の道具の力を借りることで、結果としてケガのリスクを減らす効果が大きいことを、もう少し意識したほうがいいのだろうと思った。
 
3つめは、テンションが上がる、ということ。
単純に、最新のシューズを履いていることで、気持ちが上がる。
現在は、2足新しいシューズを並行して使っているが、もう1足くらい買い足してみたいと思っているくらいで、それで走る回数が増えるのなら(そして、それによって健康な身体をつくれるのなら)、安い投資なのではないかと思っている。
せっかく買ったのだから、使わないともったいないという気持ちと相まって、(とりあえず今のところは)ランニング頻度の向上に寄与しているのではないかと感じている。
 
こんな感じで、2023年のランニングはいいスタートが切れたと思っているので、気持ちを切らさないよう継続していきたい。
 
ということで、新しく買った最新のランニングシューズで、ランニングを楽しんでいる、という話でした。

そろそろ花粉症の季節か

ここ数日、いつもというわけではないが、くしゃみをする機会が増えてきた。
生まれてこの方、アレルギー性鼻炎とつきあってきた私からすると、風邪のくしゃみとアレルギーでのくしゃみはまったく別物で、どちら起因かはすぐにわかる(誰でもわかるのかもしれないけど…)。
12月と年始に似たような風邪にかかって、このときにもかなりのくしゃみは出たのだが、そのときは明らかに風邪起因のくしゃみだとわかったが、ここ数日のものは明らかにそれとは別で、アレルギーからくるものであった。
 
だとすると、もうあれしかない。花粉だ。
とはいえ、まだ少し早いんじゃないかなと思っていたら、Twitterのタイムラインに以下のようなツイートが出ていた。
 
例年、2月の初めから中旬には飛びはじめ、2月末くらいから本格化。3月いっぱいくらいまでスギ花粉が猛威を奮い、4月くらいからヒノキの出番で、だいたい3ヶ月から4ヶ月近くまで花粉に苦しんでいるが、今年もその季節がやってきたかと少し身構えている。
 
よく、年明けの最高気温の累計が400℃を超えるころに飛散がはじまると言われる。
年明けの最高気温がだいたい10℃前後だったことを考えるとまだ早いとも思うが、上記ツイートにもあるように、ある基準値に達したら飛散開始日ということで、ここ数日気温が上がったこともあって、少しずつ飛びはじめているのだろう。
 
加えて、今年は例年よりも飛散量が多いという予想も出ているので、そろそろ準備を始めておかないいけない。
 
花粉症は発症させないことが大事で、その前に対処しておくことが重要。ここ数年は1月末から薬を飲んでいるが、今年もそろそろ薬局に行って買っておいたほうがいいかもしれない。
あわせて、点鼻薬や目薬あたりは必須で、ビタミンD亜鉛も有効とのことなので、このあたりも早めに仕入れておきたい。
 
まだまだ寒い時期は続くが、春の訪れとともに花粉もやってくるので、ぼーっとして対応が遅れないように心がけたいと思った次第である。
 
ということで、転ばぬ先の杖で、しっかり花粉症対策の準備をしておきたい、という話でした。