小学生の娘がよく使う、気になる言葉

うちの娘も去年小学生になり、生意気盛りである。
語彙が増えて、コミュニケーションが円滑に取れることと、生意気な発言が増えることは、当然のことながら相関するので、小さいころとは別のイライラが起こってしまうのだが、これは仕方がないことか。
下の息子(2歳)に対しては、もう少しコミュニケーションが取れるようになると楽になるのになと思ったりもするが、一歩引いて考えると、ないものねだりだったりする。
 
さて、そんな生意気盛りの娘は、すぐに口ごたえしたりするのだが、その中でも最近よく口にする言葉で気になるものがいくつかあるので、今回はそれをまとめておきたい。
 
1つめは「無理」。
何かやるようにこちらが言うと、すぐに「無理」を発する。
歯をみがきなさいとか、着替えなさいとか、片付けなさいとか、こちらがやるように言ったことに対して、すぐに「無理」と答えるのである。これは、ただやりたくないだけなのに、能力的にできないという言葉を使ってごまかしていることに、私は言いようのない違和感を覚えるのである。
 
なぜこれが気になるのか。ちょっと考えてみたが、おそらく無意識のうちに自分の思っていることを正確に言葉にすることを巧妙に避ける癖がついてしまうからだと思う。そしてそれは、人をだますだけでなく、自然と自分もだますことにつながるのではないかと、私自身不安を感じていることに気づいた。
 
もう1つの気になる言葉は「ずるい」。
これは、とくに息子(娘から見ると弟)との比較の中で使うことが多い。
例えば、私が息子を抱っこしていると、「(弟だけ抱っこして)ずるい!」となるわけである。娘が小さいころには、息子以上に抱っこしていたのだが、彼女としてはその記憶はすっぽりと抜け落ちている(もちろん覚えていない時期のものもあるだろうが)。
 
この「ずるい」という言葉、非常に危険な言葉だと思っていて、常に誰かと比較して、自分を幸福度合いを相対的に評価する癖がついてしまうと危惧している。
この言葉を多用していると、それは本当に自分がほしいものなのかどうかという検証なしに、隣の誰かがもっているから自分もほしいという思考になりがちで、常に他者との比較で生きることになってしまう。
これは大人でもこういう思考になりがちな人は多く、自分のものさしではなく、他者と比較しやすいものさし(例えば、お金とか、車や家とか、結婚・子育てとか)で自分の幸福度を計りがちになってしまう。
そうではなく、自分は本当は何がほしいのかを考え続けることが、幸せな人生をつくっていくことにつながると思っているので、あまりこの言葉をつかってほしくないと思うわけである。
 
と、こんな感じで、娘が多用する言葉に違和感をもつことが多くなってきた。
言葉が人をつくるという側面は多分にあるかと思うので、気になる言葉が出てきたときには、都度都度注意をするというか、なぜその言葉を使ったのか確認していく作業を怠らないようにしていきたいと思う。
 
ということで、娘がよく使う言葉が気になる、という話でした。