「ちょっとイヤ」を許容しすぎな時代

コンプアンスの時代と言われる昨今。

昭和の時代からこの方、立場の弱い人が強い人から嫌なことをされても我慢しなければならない、ということが続いてきた。そんな風潮から一転、令和の時代はセクハラ、パワハラの類は許されない。そのこと自体は、基本的には良いことだと思う。

 

ただ、ちょっと気になるのは、本当に嫌なことを我慢しなくても良くなっただけでなく、ちょっとイヤなことも我慢しなくてもよくなってきた、ということ。コンプライアンスという薬が効きすぎて、個人の成長を阻害するなんてことになりそうな気がしている。

 

例えば、社内での飲み会。

夜遅くまで飲みに連れ回されて、一方的に先輩の話を聞くだけという、本当に嫌な飲み会を我慢しなくてもよくなるのは、一般的に良いことだと思う。

ただ、社内でのコミュニケーションを円滑するようなごく普通の飲み会があったとして、それも面倒だから行かない、ということまで許容されるになってきている。上司や先輩も、昔なら多少強引にでも誘っていたが、今では強要もできないので、行かないのなら仕方ないとなりがちである。

 

これが当人にとって本当に良いことなのかどうか、はなはだ疑問である。お酒が強くない、早く帰って自分のやりたいことをしたい、理由はいろいろあるだろうが、そこで得られる人脈やノウハウを得られる機会、何かあったときに助けてもらう可能性なども、失っているかもしれないのである。

また、組織の観点から見ても、社内の暗黙知的なコミュニティが築かれないということになり、長期的な弱体化につながる可能性は大いにあるだろう。

 

事程左様に、ちょっとイヤを簡単に拒否できるし、それが許容される時代だからこそ、そこに甘えずにちょっとイヤを受け入れるというスタンスが大事になってくるように思う。何も本当に嫌なことまで許容する必要はないのだけど、ちょっとイヤは試してみる、そんなスタンスが必要だと思うわけである。

そのためには、自分が本当に嫌なことと、ちょっとイヤだなと思うこと、その線引きをしておくことも大事。好きか嫌いかで線引きするのではなく、本当に嫌かちょっとイヤかで線引きして、その境目がどこにあるのか、そこを意識して自分自身理解しておくことが、これからの時代に求められるスタンスになるのではないかと思う。

 

ということで、ちょっとイヤを拒否できる風潮はいいことなのか、という話でした。

サウナに入らない贅沢

この週末は、毎年恒例のハーフマラソン大会に参加するということで、出張で出ていた東京から軽井沢で1泊して、そこから長野に入った。

ここ数年このパターンを踏襲しており、軽井沢で夕方とその翌朝とそれぞれ温泉に入ってゆっくりしてきた。

 

今回は夕方はいつもどおりサウナを楽しみ、朝風呂のほうはサウナなしで温泉だけにしてみたところ、このあえてサウナに入らないのが贅沢だなと感じたので、そのことについて。

 

サウナは今から7~8年前くらいから好んで入るようになり、今では出張のホテルはできるだけサウナ付きを選ぶし、時間を見つけてはサウナに入りに行くくらいにはサウナ好き。

そんなサウナ好きの私なのだが、今回サウナに入らなかったことで感じたのは、サウナというのもは刺激が強いということ。当たり前と言えば当たり前なのだが、100℃近い高温の空間に入り、その後水風呂、そして外気浴というコースは、アップダウンもあり刺激的。ラーメンで例える(のが正しいのかわからないが)なら、脂の多いこってり系という感じ。

それに対して、あえてサウナに入らず、温泉だけにゆっくり入るのは、あっさり醤油味という感じで、これはこれでいいなと思った。

 

それもこれも自分が年を取ったということだろうか。サウナという刺激を入れない、このあっさりしたのが、贅沢だなと感じたわけである。

もちろん、これからもサウナには入るのだろうけど、サウナがある施設であっても、あえて風呂だけにする、そんな楽しみ方もあるかもしれない、そんなことを思った次第である。

 

とうことで、年を取ってあっさり好きになってきた、という話でした。

夏のマラソン大会はなくなるのか

この週末、毎年恒例のハーフマラソンの大会に参加してきた。

 

この大会、もうかれこれ15年以上前に、私が大学院に通っていたとき、まわりの同級生を誘って参加したのがはじめて。それ以来、毎年恒例行事として続いている。

私自身は30代後半の数年間は、地元の団体の行事と重なってしまい参加できなかったのだが、40過ぎてからまた復活。その後、コロナで大会自体が中止になった年があったが、それ以外は毎年参加している。

 

今回の成績は過去最高の記録。この大会だけではなく、これまで参加したハーフマラソンで一番のタイム。夏場に良い記録が出たのは、これまで練習の成果が出たということで、自信になった。

 

夏場であっても良い記録が出たのはいいことなのだが、年々その暑さの問題は深刻化してきている。

この大会にはじめて参加したときのスタート時刻は7時だったのだが、暑さ対策で数年前から6時に変更。

今回はスタート時で22℃くらい、私がゴールした8時くらいで25℃くらいだった。そこから10時の段階で29℃、11時には30℃を超えて、この日の最高気温は35℃だった(その場で気温を測ったわけでなく、天気サイトの情報からなので、実際の気温はこれよりも高いはず)。

 

体感的には25℃くらいまでであれば快適に走れ、そこから徐々にきつくなり、30℃を超えるとかなり危険という感じ。それと照らし合わせると、今回はコンディションとしては悪くなかったのだが、今年の7月の暑さを考えると今後はますます熱中症のリスクは高くなるだろうなと思ったりした。

 

もし仮にこの暑さがさらにひどくなるとすると、夏場のマラソン大会はハーフだけではなく、もっと短い距離のものも開催が難しくなってくるかもしれない。この大会も、もしもっと暑くなるとすると、さらにスタート時刻を早めるか(5時スタート!)、開催時期を9月や10月に変更するしかないし、さらには中止になってしまうかもしれない。

できれば猛暑もこれ以上ひどくならずに、どうにかマラソン大会も続いてほしい、そんなことを思った次第である。

 

ということで、夏のマラソン大会はなくなるかもしれない、という話でした。

雨が降ると涼しくなる

今週は東京に出張に出ている。

今年の7月はどこも暑くて、東京も当然のように暑い。今回の出張の目的の1つに、出展している展示会の視察があったのだが、会場の幕張メッセまで行って帰るだけでその疲労感は相当なものがあった。まだ暑さに慣れていない中、それなりの距離を歩いた結果の疲労かと思われるが、いずれにしろこの猛暑があと3ヶ月続くとなると、夏バテ対策も考えておかないとまずいと思った。

 

ところで。この木曜日の夜、東京地方は夕方から夜にかけてかなりの雨が降った模様。幸い、私は食事している最中に降ったので、雨の中を移動することはなかったのだが、時折雷も鳴っており、そこそこの雨だったようである。

で、明けて今日金曜の11日。この日は朝から涼しく、最高気温も25℃を下回った。連日猛暑日から急転直下25℃以下という気温で、暑さに一息つけたと見るか、気温の変化が大きすぎて体調が追いつかないと見るか、なんとも言えないところだが、いずれにせよ大きな気温の差になったのは間違いない。

 

こうやってみると、毎回必ずそうとは言えないが、雨が涼しさを連れてくるということはあるだろう。東京はまだ正式に梅雨明けしていないが、梅雨がまだ続いて雨がそれなりに降っていれば、気温もここまで上がっていなかったのだろうと思ってみたり。雨が続くとそれはそれで鬱陶しいが、それでも気温がそこそこで収まるのであれば、個人的にはそちらのほうがいいと思う。

 

余談だが、毎年恒例の大学院の同窓会を兼ねたハーフマラソンに今年も参加する。長野であるハーフマラソンだが、ここ数年は金曜に軽井沢に入って1泊、そこから長野入りしてマラソンに臨むというルーティンとなっている。軽井沢は言わずとしれた避暑地ということで、束の間の涼しさを楽しもうと思っていたのだが、この気温低下で涼しいどころか、肌寒い。到着したら気温は16℃で、一応持ってきたジャケットを羽織って寒さを凌いだほど。猛暑の東京を脱出して、軽井沢で涼を取ろうと思っていたのに、雨のせいで思っていたようにならなかった。

 

そんな涼しさも1日だけのようで、この週末はまた気温は戻る模様。参加するハーフマラソン大会は朝早いスタートだが、暑くなる前にゴールしたいと思う。

 

ということで、雨が降ったおかげで(せいで)気温がかなり下がった、という話でした。

カープ、今シーズン終戦か

今シーズンのカープ。苦手の交流戦を五分で終え、交流戦終了時点で、首位阪神に3.5ゲーム差でリーグ戦再開となった。

今年の交流戦は序盤セ・リーグの勢いがあったものの、終わってみれば上位はすべてパ・リーグと例年通りの結果。首位阪神は7連敗もあったが、結果借金2で終わっていて、思ったよりも星を落としていなかったので、ゲーム差もほとんど縮まらなかった。カープとすれば転落しなかっただけでも良かったと見るべきなのかもしれないが。

 

リーグ再開後、その阪神が絶好調。8連勝でマツダに迎えての3連戦となった。

今回の3連戦前の段階で6.5ゲーム差。この段階で、危険水域と言っていいだろう。

この3連戦、カープとしては3連勝しないと、優勝がかなり厳しくなる。2勝1敗でも5.5ゲーム差なので、これでもきつい感じ。負け越すようなことがあれば、もう終戦といっていい、そんな大事な3連戦。だった。

 

そんな大事な3連戦なのに、まさかの連敗。これで8.5ゲーム差に。仮に今日の試合に勝ったとしても7.5ゲーム差。まだ7月ではあるが、ここから逆転できる確率はかなり低いと言っていいだろう。

この段階で優勝の可能性がまったくないとまで言うつもりはないが、このままズルズル突き離され、優勝できなかったとすれば、ここが終戦記念日だったとなるだろう。

阪神もどこかでブレーキがかかる可能性もあるわけだし、諦めるわけではないのだが、けっこう大きな分岐点となる連敗かもしれないと思った次第である。

 

ということで、カープ阪神に連敗して落ち込んでいる、という話でした。

プールの思い出

昨日のこのブログで、幼稚園の息子のプール参観に行ってきた話を書いた。

膝上くらいのそこまで深くないプールなのだが、息子としてはこわいようで、泣き出す始末。結局外で遊んで、プールの時間を終えることになった。

親としては、ちょっとこわいからといって逃げるのではなく我慢してほしいと思いがあるし、先生に対してももっと厳しく強引にでもプール遊びをさせてほしいと思ったりもするのだが、そういう時代でもないのだろう。

 

かく言う私も、実はあまりプールは好きではなかった。

正確に言うと、プール自体は好きなのだが、深いプールが苦手だった。というか嫌いだった。

私が小学生のころは、学校にプールがあって、1学期の後半はプールで水泳の授業がけっこうあった。私が通っていた小学校は、浅いプールと深いプールの2種類があり、深いほうは6レーン×25mの、そこそこきちんとしたプールだった。浅いプールは低学年、深いプールは高学年が使うことなっていた。

 

ただ、3年生のときは体育が専門の先生がいるときは深いプールも使うことがあり、これが嫌だった。背の低かった私は、深いプールだと顔が出ないのである。今の小学校のプールはそんな深いプールになっていないようだが、当時はおそらく120cmくらいは水深があったはず。

当時は、1クラス単独で体育の授業をするパターンと、学年全体で体育の合同授業をするパターンがあり、合同授業の場合は体育専門の先生がいるので、深いプールを使用することがあった。この深いプールがこわい私は、合同の体育授業のときは、仮病を使って水泳の授業をさぼっていた。

 

そんな3年生のある日。その日は合同授業ではなく、1クラス単独の水泳の授業だった。担任の先生は体育の専門ではなかったので、浅いプールしか使わない。私は朝からそのプールの授業を楽しみに学校に行った。

しかし、学校につくと、私のクラスの担任の先生が体調不良でお休み。隣の体育が専門の先生のクラスと合同で授業をすることになった。

これはやばいぞと思うも、その日は体調良好ということで学校に来ているので、休むことはできない。おそるおそるプールに行くと、幸い浅いプールで授業をすることになり、ほっとしていたのだが、授業の途中で、その体育専門の先生が深いプールに移動すると言い出す。

 

あわてた私はおそるおそるその先生に、お腹が痛いです、と言いに行くと、それは大変だなと言われた次の瞬間、抱きかかえられ、深いプールに放り投げられたのである。足はつかない、泳ぎもうまくない、そんな私はそれこそ必死の思いでもがいてプールの端までたどり着き、九死に一生を得た。プールから上がると、その先生から、そのくらい泳げれば大丈夫と言われ、その後も深いプールでの授業を余儀なくされたわけである。

 

その後、深いプールへの苦手意識は克服できたし(単純に背が伸びたというのもあるが)、泳ぎ自体もクロールくらいで人並みくらいにはできるようになったのだが、そこまでなったのは、この先生のおかげだったとも言える。

今では学校の先生もさすがにここまでのことはできないだろうが、それでもちょっと強引に導くことがあってもいいかな、と改めて思った次第である。

 

ということで、プールがこわいという点においては、私も人のことは強く言えない、という話でした。

 

chikaran.hatenablog.com

プール参観雑感

今日、息子(年中)の幼稚園のプール参観なるものに行ってきた。

シーズンごとに数回プールの日があるのだが、そのうち1回お手伝いという形で参観するもので、その順番が回ってきたので参加してきた。

 

息子から見ると今シーズン3回目のプールの日。1回目は水着に着替えるのも嫌だったようでそのままの格好でちょっと水遊びをした程度、2回目は水着には着替えたもののやはりプールには入りたがらずプールの外でちょっと遊ぶ程度だったようで、今日の3回目を迎えることとなった。

 

私が幼稚園に到着すると、子どもたちがプールに登場。うちの息子は、どうやら自分で水着に着替えたようで、こちらに気づいて手を降りながら、機嫌良くやってきた。

と、ここまではよかったのだが、いざプールに入る段になると嫌がって拒否。それでも私が無理やりプールに入れたのだが、他の子たちのように、先生に倣って遊ぶことはしないまま、プールの脇でぐずり続けることになった。

私は無理にでもみんなと同じように遊ぶにように促すのだが、息子は言うことを聞かない。見かねた先生が外で遊ぶ?と提案すると、息子はうなずき、プールの外に出ることになった。外から水鉄砲で遊んだりして、それなりに楽しそうではあったが、プールの中のほうが楽しいのにと思いながら息子の姿を見ているうちに、プール参観を終えることになった。

 

息子は水が嫌いなわけではなく、また冷たいのが嫌なわけでもなさそう。家ではたまに水風呂に入ったりもするが、キャッキャ言いながら楽しんでいる。

では何がそんなに嫌なのか?おそらくだが、プール自体がこわいのだと思われる。プールと言っても、息子の膝上くらいの水深で、普通に遊んでいれば何の問題もないくらいなので、慣れればなんてことないと思うのだが、それでもそこでみんなと遊んでコケたりすると溺れてしまうと思っているようで、それがこわいのだと思う。

今回もいっしょについているから大丈夫だ、と何回も促すのだが、やはりそこを克服できず、時間オーバーとなってしまった。

 

今回の参観を通じて思ったのが、思っている以上に子どもの気持ちを尊重するという幼稚園の姿勢について。今通っている幼稚園がどうこうということではなく、おそらくどこも同じようなものだと思うので、自分が子どものときと比べるとかなり違うなと感じた、という意味で。個人的にはもう少し厳しく接しても良いのではと思った次第。

先生曰く、去年は水着にも着替えなかったようで、そこから比べれればプールにも入ったし大きな進歩とのことと褒めてくれていたが、私から見るとちょっと嫌なことを我慢できない、という見方になってしまう。

プール遊びができないからといって将来直接的に困ることはないかもしれないが、自分の思い通りにいかないこともあるということを学ぶのはそれなりに意味があるのではないかと思うのである。

一方で、幼稚園の先生も、50代手間の私から見ると、一回りどころか、二回り違う場合もあり、そうなると、子どものときも経験も、昭和世代の私とは異なっていて、そんな先生方が子どもに厳しく接するといってもなかなか難しいのかもしれない、なんてことも思ったりした。

 

と、あれこれ小難しく考えてみたが、プール参観自体は子どもたちがはしゃいでいる様子を見ることができて楽しかったし、息子の幼稚園での生活(とくにプールに対する思い)を理解できてよかったと思う。

また来年、機会があれば是非参加したいと思う。

 

ということで、息子の幼稚園のプール参観に行ってきた、という話でした。