会話のシェアを意識して話す

先日、とある取引先のマネジャーの方が来られて話す機会があった。先方はそのマネジャーと担当者の方、こちらは担当と経営者である私という4人の構成。うちが買う側で顧客という立場。
 
先方は自社商品を売りたいはずで、こちらのニーズを探ってくるのかと思いきや、そのマネジャーが一方的に話すという展開に。
一瞬、こちら側が話すターンが回ってきたかと思いきや、途中でカットインしてきて、自分の話をしだした。
 
終わってみれば、そのマネジャーが9割5分くらい会話のシェアを占めており、独壇場で終わってしまった。
 
そのマネジャー、いろいろと見識があるのだろうが、少なくともこちらが関心を示していない段階で一方的に話をされても正直話が頭に入ってこない。加えて、何か質問をしても、また一方的な話になるので、こちらからいろいろと聞くという展開にもならず、ただただ相槌を打つだけで終わってしまった。
 
よく言われることだが、人間、話を聞くより話をするほうが気持ちがいい。だからこそ顧客側に話をさせて、ニーズを聞き出すというのが一般的である。
それなのに、こちらに話をさせてもらえず、正直何をしに来たのだろうと思ってしまったわけである。
商談において、相手が話をしてくれたほうが楽なこともあるが、そこは程度問題だなと思った。
 
今回のケース、一般論に当てはめると、顧客の上司にあたる私が5割くらい話をして、うちの担当者が2割くらい、売り手である先方のマネジャーも2割くらい、先方の担当者が1割くらいになるように話を展開させることになるだろうか。
 
商談に限らず、複数人で話をするとき、私はこの会話のシェアを気にするようにしている。
想定のシェアを頭に入れておいて、そこにミートするように話を振ったりする。
だいたいメインで話をする人は想定どおりになることが多いが、サブ的な役割の人もそれなりに会話できているか、想定シェアと実際のシェアが乖離しないように心がけている。
 
話を戻して、今回の商談。先方からすれば商談ですらなかったのかもしれないが、正直、聞いてばかりであまり気持ちいいものではなかった。

今後の関係性を考えると、もう少しこちらにも話をさせておけばよかったのにと思ったのだが、どうだろうか。

 

ということで、改めて、人は話を聞くよりも話をするほうが気持ちいいことを確認した、という話でした。

格安ランドセルはキャズムを超えるのか

ちょっと前のことだが、ワークマンがランドセルを開発して発売するというニュースが出ていた。
 
たしか、1~2年前にモンベルからもランドセルが発売されたが、今回のワークマンはさらにそれより安い価格帯の商品とのこと。
一般的なランドセルの購入金額が50,000円超なのに対して、モンベルのものが約15,000円、ワークマンが7,800円(税込)。
 
従来の革のランドセルは価格が高いこともあり、それに対抗すべく各社が格安のランドセルを出しているが、こういったランドセルはキャズムを超えて普及するのだろうか。
 
私の意見としては、正直難しいと思っている。
個人的にはこういったランドセルはいいと思う。安いということもさることながら、軽いというのが、とくに小さな低学年の子どもたちにはいいと思う。
しかしながら、普及するかどうかと問われると難しいと答えざるを得ない。
 
ここではその理由を、1年生になるときのニーズと、その後の買い替えニーズと分けて考えてみたいと思う。
 
まず、1年生になるとき。
今や小学生になるときのランドセル購入と言えば一大行事。祖父母も交えてどれにしようと悩むこと自体がエンタメになっているフシがある。そんな中で、格安ランドセルの出番はかなり薄いと思われる。
もちろん、どの家庭も金銭的に余裕があるわけではないので、格安ランドセルのニーズがまったくないわけではないと思うが、ここで一定以上のシェアを獲得できるとは思えない。
 
次に買い替えのニーズだが、これもちょっと期待薄か。
最初に高価なランドセルを買ってしまえば基本6年間は使うことができる。となると、わざわざ買い替える必要がない。
中には成長が早く、5,6年生で身長が伸びてランドセルが似合わなくなる子どももいるが、人数的にはわずかだろう。
 
一般的なランドセルは高くて重いので、最初は軽い格安ランドセルで過ごし、3,4年くらいから一般的な高価なランドセルに変えるという流れであれば格安ランドセルの出番もありそうだが、上述したように1年生になる段階で、子どもも親も祖父母も、高価なランドセルをほしがるので、その壁はなかなか高いだろう。
 
では、格安ランドセルがある一定以上のシェアを獲得するためには、どうすればいいか。
これは学校や教育委員会から指定してもらうしかないのではないか。
半ば強制的に、現行の一般的なランドセルではなく、格安のランドセルをほうにするよう指定してもらうしか、方法はないように思われる。
これとて、そういった学校や自治体がマジョリティになるには時間がかかりそう。
 
今うちの下の息子が幼稚園年少で、この子が小学生になるときはもちろんのこと、卒業する約10年後でも、格安ランドセルが台頭することはないと考えるが、いかがだろうか。
節目節目で、シェアが変わるかどうか、観察していきたいと思う。
 
ということで、格安ランドセルが普及するのは難しいのではないか、という話でした。

クイズ世界ふしぎ発見!最終回

先日、ネットニュースで、日立クイズ世界ふしぎ発見!が最終回を迎えたという記事を見た。
38年続いた番組のレギュラー放送が最終回ということで、長い歴史が幕を閉じたと報じていた。
 
世界ふしぎ発見!は、1986年に放送開始で、当時私は9歳小学3年生だった。小学3年生と言えば、今の娘の年代で、かなり長く放送された番組だったのだと改めて実感した。
 
この番組をよく見ていたかと言われれば、実はそんなこともなく、きちんと見た回をそう多くない。
小学生のころは、たまに祖父母宅に泊まりで遊びに行っていたときに、祖父がよくこの番組を見ていたのを思い出す。
私自身はこの番組はそれほど面白いとは思ってはいなかったのだが、土曜ということもあり、まだ眠くなかったときにはいっしょに見ていたように記憶している。
当時の私からすると番組のテーマはとっつきにくかったし、問題も難しく感じられ、クイズ好きだった自分にも今ひとつ馴染めない、そんな番組だった。
 
それから年月が経ち、思い出すのが大学のとき。
当時、同級生が、この番組は非常に質が高い、といったようなことをよく覚えている。
上述したように、私にとってはとっつきにくいと思っていた番組を、こんなふうに評価するやつがいるんだと思ったし、今思えばこの評価は正しかったように思う。
 
とはいえ、それ以降もこの番組を毎週欠かさずに見るということはなく、ごくたまに見るという存在だった。
 
それでも最終回という記事を見て、その最終回をTVerで視聴することにした。
お酒を飲みながら一人で視聴したのだが、その内容はすばらしく、ほろ酔いになりながら、なんとも言えない幸せな時間を過ごすことができた。
何がすばらしいかというと、もちろん38年間の放送の内容それ自体がすばらしく、総集編的にエッセンスを見ることができたのが良かったが、加えて最終回の構成もすばらしかったと思う。
奇をてらった演出をせずに、総集編とクイズという構成で、番組の歴史を振り返ることができたし、TVerにおけるCMも日立一社提供で、しかも合間に流れるCMは1つだけで、間延びせずに見ることができた。
さらに番組終了後のCMは「この木なんの木」で、番組の作り手がTVerの配信にまで気を配っているのを感じることができた。
 
そんな、自分自身あまり見てこなかった番組ではあるが、こういった番組が長年に渡って放送され続けたのはすばらしいことと感じたし、今さらではあるが、改めて見てみたいと思った。
できれば、子どもたちといっしょに見ることができれば良かったなと思ったりもしたが、子どもたちから見れば、子どものときの私と同じくとっつきにくいはずで、おそらく見ないのだろうなと思った次第である。
 
ということで、クイズ世界ふしぎ発見!の最終回が良かった、という話でした。

幼稚園の経営

今日、下の息子(3歳半)の幼稚園の入園式に行ってきた。
先日、保育園で卒園式があったばかりだったが、今回は幼稚園の入園式ということで、息子も新しいステージに入ったのだなと実感した。
 
今回入園する幼稚園は、上の娘(小学3年生)も通っていた幼稚園。私の会社からも近いということで、今回もお世話になることにした。先生方も顔なじみで、入園前からいろいろとご相談させていただいたりしている。
 
入園式自体は滞りなく終わり、いよいよ来週からは登園となるのだが、今回入園式に参加して驚いたことがある。
それは今回入園の年少のクラスが多いこと。3クラス構成になっていたのである。
 
その幼稚園の年長・年中のクラスはどうやら2クラス構成のようだし、うちの娘が通っていたときも2クラスだった。
それがここに来て3クラスになっているのである。
当然のことながら、少子化真っ只中のこのご時世。私が住んでいる自治体もご多分に漏れずというか、それ以上のペースで少子化進んでいると思われる。うちの息子の世代だけ突出して人口が多い、というわけではもちろんない。
それにも関わらず、このタイミングで1クラス増ということで、正直驚いた。
一瞬、年少だけ手がかかるので3クラスに振り分けたのかなと思ったのだが、うちの娘のときはずっと2クラスだったので、それも考えにくい。
 
思えば、入園前の説明会のときに園長先生が、子どもを継続的に集められる幼稚園になっていかないといけない、ということ言っていた。
上の娘が通っていたときから親切に対応いただき、それもあって今回もお世話になることにしたのだが、こうした地道な活動が人気につながっているのかと思ったりした。
 
考えてみれば、幼稚園経営も基本的には営利企業といっしょで、顧客を創造することが目的。
この幼稚園が取り組んでいる施策もよく観察して、いいところは自分の会社にも取り入れていきたいと思った次第である。
 
ということで、息子の入った幼稚園が人気だった、という話でした。

娘のクラス分けの話

春休みも終わり、新学期が始まった。うちの娘も3年生になった。
 
2年生の去年は、クラスの男の子たちからいじわるをされて悩まされた1年間だった。
担任が2年目の若い先生ということで、クラスの悪ガキたちは増長して、授業参観なのにも関わらず授業中に歩き回る始末。1年のときは仲の良かった男の子も娘にちょっかいを出すようになり、一時は学校に行きたくないと言い出して、担任だけではなく主任の先生含めて相談に行ったりしていた。
そんな感じだったので、2年の最後、連絡帳に、とくに娘にいじわるしてくる3人の男の子とはいっしょのクラスにならないよう配慮してください、という内容を書き、担任の先生もその旨校長に伝えると返信があった。
 
で、迎えた3年生のクラス分け。
初日は私もいっしょに学校に行って、クラス分けの一覧表を確認してみると、避けてほしいと書いた3人のうち2人が同じクラスだった。
正直、これはどういうことなのかと思ったが、そこで文句を言ってもしょうがないので、クラス分けの一覧を写真に撮って、学校を出ることにした。
 
もちろん、クラス分けや担任の振り分けの権限は学校側にある。
保護者として要望を出すのも自由だと思っているが、最終的には学校が決めるだし、それに対して抗議をしたりするものではないと思っている。
 
現在、滋賀県の中学校でクラス分けがやり直しになったというニュースが流れている。よほど致命的なことがなければ、当初のクラス分けでいけばいいと思う。詳しい事情がわからないので、ここでは原則論にとどめておきたいと思うが、最終的には学校側が責任をもってクラス分けをすればいい。
 
ただ、学校側も娘の2年のときの状況は理解しているはずで、かつ連絡帳にも書いているのに、このようなクラス分けをしたのであれば、何らかの説明はほしいところ。
おそらく、今回の娘の担任は30~40代の男の先生ということで、きちんとクラス全体の抑えが効くという考え、加えてうちの娘もこの先生のクラスにしたほうがいいと判断をしたと思われるが、今度個人面談があるので聞いてみたいと思う。
 
ということで、学校のクラス分けは思っている以上に大変なのかもしれない、という話でした。

アナザージャパンで感じた違和感

「アナザージャパン」という企画があることを、とあるラジオ番組で知った。
このアナザージャパン、三菱地所と中川政七商店が協同で運営する学生インターンの企画のようで、各地域の出身の大学生がその地域の品をセレクトして、三菱地所が東京駅前で開発を進めている「TOKYO TORCH」にあるショップで販売をするというもの。
 
私が聞いたラジオでは、この企画に参加している学生が出演していて、その宣伝を行っていた。
その学生の大学名を聞いただけで優秀なんだろうなと思っていたが、ラジオでの受け答えもすばらしく、それこそ頭がいいだけでなく、行動力もある、トップ層の学生が参加していることが伺えた。
 
で、先日出張で東京に出た際に、ちょっと近くを通ったので、このアナザージャパンのショップを覗いてみた。
すると、ラジオにも出演していた学生がいて、簡単な接客をしてくれた。その話し方を見てもさすがだなと思わせる感じで、三菱地所と中川政七商店がインターンを企画するとこういった学生が集まってくるのか、とちょっとうらやましく思えたりした。
 
しかし、その会話の中で、ちょっと気になったセリフがあった。
その学生が、「私たちが仕入れから販売、プロモーションまで一貫して担い、経営をさせてもらっています」と。
正確にこういったわけではないが、ニュアンスとしてはこんな感じだった。
 
ピュアな学生に対して、こんなことを言うのは野暮だとはわかっているが、経営者のおじさんからすると、その内容にちょっとひっかかってしまったのである。
たしかにこの学生たちは、(大人たちがどれくらい関わっているかはわからないが)自分たちでコンセプトを決めて、そのコンセプトにあった地域の品物をセレクトし、交渉をして、ショップに並べて売るという、なかなかできない経験をしていると思う。
コンセプトをつくる地頭の良さもあるし、自分たちでいいものを探す行動力やコミュニケーション力もあって、非常に優秀な学生が集まっていると思う。
 
ただ、東京駅前の一等地の地代と、自分たちの人件費を考慮に入れず、それで経営を学んでいると言われるとやはり違和感しかないのである。これらの固定費を賄えるだけの粗利が稼げるはずがなく、実際にこの環境で商売をしたらとてもではないが続かないだろう、と。
 
繰り返しになるが、野暮なツッコミであることは重々承知である。
ただ、せっかくなので、そんな固定費の存在も大人たちがおしえてあげたら、もっと実のあるインターンになるのではないかと思った次第である。
 
ということで、野暮を承知で違和感を言語化してみた、という話でした。

買い物でストレスを発散させる感覚が少しわかるようになってきた

先日、1ヶ月くらい悩んだ末に、DJI Osmo Pocket3を購入した。
とある動画でこの見たことのない形をしたカメラを見て、ほしくなってしまった。ただ使いこなす自信がなかったため購入するかどうか散々悩んだのだが、悩んだところで実際買ってみないとわからないということで、先日のAmazonのセールの際にポチッてしまった。
さっそく子どもたちと出かけた際に使ってみたのだが、使いこなせるかも、使い続けることができるかも正直わからないといったところ。ある程度、意識して使い続けないと使わなくなってしまいそうなので、とくにこの1ヶ月はとりあえず使ってみることを心がけたいと思っている。
 
さて、こんな感じで少し大きめの買い物をしたのだが、最近Amazonのウェブサイトを見て、あれやこれや物色するのが楽しくなってきている。
昨年、iPhoneの機種変更をして以来、周辺アクセサリや充電器などを揃えるのが楽しく、今はDJI Osmo Pocket3の周辺機器を探してみたり、さらにはiPadの更新を検討したりしている。
YouTubeで関連の動画を見ては、Amazonで確認してほしいものリストに加え、セールがあるときにまとめて買ったりしている。
セールでのポイント獲得もあって、どのタイミングで買うかも含めていろいろと思案するのが楽しいのである。
 
よく買い物でストレス発散すると言われるが、最近その感覚がわかるようになった気がしている。
ストレスが発散されるというよりは、何を買おうか考えることでストレスから(一時期的に)離れることができる、といったほうが正しいかもしれないので、一般的な買い物でストレスを発散するのとは違うのかもしれないけど。
 
いずれにせよ、ちょっと時間があればAmazonのウェブサイトを覗く今日このごろ。今のところ、めちゃくちゃ散財しているわけではないので、特段問題とは思っていないのだが、これがエスカレートするのかどうか、自分自身をきちんと観察しておきたいと思っている。
 
ということで、買い物でストレスを発散させがちになっているかもしれない、という話でした。