「~のせい」という、原因と責任が混同した言葉

昨日のこのブログの記事で、最近娘(小学1年生)がよく使う言葉で気になるものを挙げてみたのだが、もう1つあったので、ここで紹介しておきたいと思う。
 
それは「~のせい」というもの。
例えば、息子(2歳)が機嫌よく遊んでいて、娘がわざとではないのだけど息子にぶつかってしまって、息子が泣き出したようなとき、私が娘にぶつからないように注意しようねと言うと、娘は「私のせいでしょ」と言ったりする。
別の例としては、レストランとかで短時間息子を見ておくように娘にお願いしていたのに、きちんと見ていなくて、その間に息子がテーブルの飲み物をこぼしてしまったとき、娘を注意すると、「私のせいじゃない、弟のせいだ」と言ったりする。
 
この「~のせい」という言葉、なんで気になるのか。それは、原因と責任の両方の意味合いが混同されている言葉だからだ。
 
どういうことか。
「~のせい」と言ったとき、この「~」には人の名前が入るのだが、この人が起こった結果の原因とつくっており、かつその人の責任であるという意味が含まれているのである。
この原因と責任が混同されていることに、違和感を覚えるのだと気づいた。
 
1つめの例の場合、娘が息子にぶつかって泣かせたとして、原因はたしかに娘にある。ただ、故意ではないので私としてはそれを咎めるつもりもなく、ただ今後は注意しようねと言っただけで、責任と問うたつもりはないのだが、自分が悪いんでしょという自虐の意味で「私のせい」という言葉が出てしまっている。
 
逆に2つめの例は、飲み物はこぼしたのは息子のほうで、原因は息子にある。しかしながら、それをきちんと監視する役割を果たしていなかったので、それを注意したのが、それは伝わらず、「弟のせいだ」となってしまっている。
 
これは大人でもきちんと切り分けて考えられる人は少ない。原因と責任をごっちゃにしている人は多い。
小学1年生の子どもに、原因と責任を分離して考えろと言っても難しいとは思うのだが、「~のせいだ」を多用すると、いつでも原因をつくった人が悪いとなってしまいそうで、ちょっと危険だなと思っている。
原因と責任の概念の違いを理解させるためにも、何度も諭すことが大事なのかなと思うので、気づいたときにしつこくおしえていきたいと思った次第である。
 
ということで、「~のせい」という(意味合いの)言葉は、あまり使わないように、そして使わせないようにしたい、という話でした。