私だけ自由じゃないと訴える娘

娘が小学校に進学してそろそろ半年を迎える。
小学生になったからといって急に成長するわけではなく、まだまだ幼稚園気分が抜けていない。
朝起こすと、まだ寝たいというだけならまだしも、学校サボるとまで言い出すし、歩いていたらすぐに足が痛いと言い出して、車がよかったとか、抱っこしてくれと言ってくる。
 
そんなわがまま全開な娘だが、食事のときに野菜も食べるように言うと、私だけ自由じゃない、と文句を言ってきた。
弟は嫌いなものは拒否して食べなし自由があるし、パパもママも自分たちで食べるもの選ぶ自由がある、私だけ自由じゃない、というわけである。
彼女の言い分としては、食事だけでなく、宿題もしなければいけないし、テレビももっと見たいのに制限されているとのことであった。
 
この主張を聞いて、私はちょっと笑ってしまった。
小学生特有というか、わがままで憎たらしい感じとともに、なんともかわいらしく面白くも思えた。
 
何が面白いかというと、1つは物事の表面しか見えていない感じが面白い。
弟は自由だと言うが、自分もその時期を経過してきている。そのときは彼女の言うところの自由を謳歌してきたわけだ。もちろん記憶はほとんどないだろうが、それをすっ飛ばしているところがなんともかわいらしい。
親に対しても、自由の裏側にある責任の側面が見えていない。いろいろと自由に選べるということは、責任が伴うのだが、自由の側だけを見て評価しているところに子どもらしさが垣間見えた。
 
もう1つ面白いなと感じたのは、人は比較によって評価しがちということ。とくに成熟していない人ほどその傾向が強いのだが、娘には今まさにその傾向が出ているなと感じた。
とくに小さいうちは、物事を比較でしか捉えることができない。自分の中の絶対的に価値観で評価するのではなく、他者との比較で自分を捉える。
それがいけないわけではないし、小さいうちはそんなものだろうと思うのだが、一方で大人になってもそれでは困るなとも思う。
いつまでも他者との比較だけで自分を評価していると、なんとなくみんながこっちというから、という雰囲気に流されてしまい、自分の幸せを考えることができなくなってしまう。
 
5年後、彼女は6年生に、彼女の弟である息子は1年生になっているのだが、おそらく同じセリフを言うんだろうなと思う。
まだその時点でも小学生。そんな発言でも問題ないと思うのだが、願わくば少しでも比較だけではない、自分の中の相対的ではない絶対的な軸が少しでもできていればいいなとも思う。
これからの5年間、自分の中を軸をつくれるように、私としても娘をサポートしてあげないといけないんだろうなと思った次第である。
 
ということで、娘の発言に子どもらしさを感じた、という話でした。