何も考えずに「今」を見つめる、サウナと焚き火の共通点

ちょっと前の記事で、サウナの3つの効用についてまとめてみたが、そのうちの1つに、何も考えない(考えられない)ということを挙げた。
無意識なものも含めて、日ごろいろいろと考えていているせいか、その何も考えない、ぼーっとしている時間が貴重だと感じている。
 
このサウナで何も考えない時間、何かに似ているなと思っていたのだが、それはキャンプで焚き火を見ている時間だということに思い至った。
 
キャンプに行くときは毎回焚き火をするのだが、娘が寝たあとに、一人でお酒を飲みながら、ただただぼーっとする時間がある。
その焚き火を見ている時間と、サウナで何も考えずにぼーっとする時間が似ていると感じたというわけである。
 
前にサウナとランニングの共通点として、没頭感というものをあると書いたことがあるが、それとは似て非なる感覚である。
ランニングの場合、走る環境が良いと没頭できるし、走った後にリセットされた感覚があって、これはサウナでも同様の感覚が得られる。
ただ、ランニングの場合、何も考えないというのとはちょっと違って、逆にいろいろな考えごとができる時間として捉えている。
それに対して、サウナや焚き火の場合は、何も考えないことに価値があるように感じている。
もちろん、まったく何も考えないというわけではないが、無に近い感覚になれる時間があるのである。頭の中のデトックスというか、禅とかにも近い感覚だろうか(禅のことはよくわかっていないので、雰囲気としてだけだが)。
 
そう考えると、私がキャンプを続けている理由も合点がいく。
私のキャンプの腕前はいっそう上がらず、設営や撤収に時間がかかりすぎ、設営と撤収のためにだけにキャンプに行っているようなものであるが、それでも焚き火をして、ただぼーっと眺める、何も考えない時間を得ることができているのである。
このためにキャンプに行っていると言っても過言ではない。
 
先日、紹介した「モンテッソーリ教育が教えてくれた「信じる」子育て」の中に、子どもは常に「今」を生きていて、大人はいつも過去のことは未来のことを考えて生きている、とあった。
われわれ大人は、思っている以上に「今」を生きていなくて、過去や未来に振り回されているのかもしれない。
だから、ただ「今」に向き合う時間がほしくて、サウナや焚き火にハマっているのかもしれない。
 
ということで、意識しないと「今」は取り残されてしまう、という話でした。