選択肢があるということは必ずしもいいことではない

この記事でも書いたが、朝はウォーキングをしている。
最近は飲み会もなく、よって飲みすぎるということもなく、雨の日以外はほぼ歩いている。
朝歩くのは爽快だし、アタマもすっきりして考えごとするにも、オーディオブックで耳学習するにもちょうどいい。
完全に習慣化というか娯楽化できたと思っている。
イヤイヤやるのではなく、好き好んでやりたいと思う状態になっている。
 
他にも娯楽化できているものとして、私の場合、読書がある。
このブログでも何度も書いているが、前職時代の満員電車の苦痛を紛らわす手段として本を読みだしたが、それ以降本を読むこと自体が好きになってしまった。
最近ではオーディオブックというツールも手に入れたので、読める(聞く)本の冊数の増やすことができている。
 
しかしながら、これも↑の記事でも書いたように、「読む」読書を増やさないといけないなと、最近思うようになってきた。
本を読むということは、自分との対話であって、オーディオブックではそれがなかなかできない。
オーディオブック自体は良いツールだけど、そればかりに頼ってはいけないのではないかと思うようになってきた。
 
では、いつ本を読むのか。
やはり朝の時間が一番いい。アタマもすっきりしていて、効率良くインプットしたり自分との対話ができる。
ただ、ウォーキングもしたいので、どう折り合いをつけるか考えていきたい。
と、ここまでが↑の記事で書いた内容だった。
 
と前置きが長くなったが、ちょうど今朝この2つがバッティングしてしまった。
まあ、そんなおおげさなことでもないのだが、朝起きて、ウォーキングと読書のどちらにしようか迷ってしまったのである。
もっと早く起きれば両方できたのだが、中途半端な時間だったので片方しかできない。
基本、雨が降っていないので歩くつもりでいたのだが、ちょうど昨日1冊読み終わったので、ゆっくり次の本を選んで読み始めるのもいいな、と思ってしまったのである。
こうなると良くない。
元来、優柔不断かつ多くの情報を集めてから意思決定したいという性格が表に出てしまう。
「歩くのは午後から娘といっしょにでもできる」とか、「いやいや読書も午後から娘がテレビ見ている間にすればいいか」とか、「いや午後はすぐに娘と出かけないと嫁の機嫌が悪くなるかも」とか。
いろいろと意思決定の関する要因が頭の中を駆け巡る。
 
ここで正しいのは、どちらでもいいからすぐに実行する、ということである。
ただでさえ貴重な朝の時間、あれこれ考えている時間がもったいない。
だけど、わかっちゃいるけどやめられない、のである。
何なら、紙かエクセルを引っ張り出して、それぞれのメリット・デメリットに対案まで書いて整理してやろうかとすら思ってしまう。
 
と、こんな感じで10分くらい考えただろうか。いや、悩んでいただけだ。考えると悩むは違う、とどっかの研修で聞いたけど、今朝のははっきりと「悩む」だった。
選択肢があるということは自由であることを意味することが多いが、必ずしもいいことではないこともあるのである。
さすがにエクセルを持ち出すのはやりすぎだと冷静になり、それではあれば初心というか原点にもどろうと。
そう、基本雨が降ってなかったらウォーキングなのである。
ということで、気を取り直し、着替えて外に出て、ウォーキングに勤しんだのである。
 
後から振り返ってみると、このムダに悩むという行為は、貴重な朝の時間を浪費してしまったということ、貴重な処理能力を使ってしまったということに2点から問題だったなと思う。
一見、大したことないように見えるし、今日のことが今後の人生に大きな影響は与えることはないだろう。
だけど、こうしたムダに悩むという行為が続くと、そうも言っていられない。
スティーブ・ジョブズが、何の服を着るかということに大事な処理能力を使わないために、毎日同じ服を着ていたというのは有名な話だが、もう40を超えた自分にとっても、朝の貴重な時間と大事な処理能力の浪費はしたくない。
 
ということで、ここに朝のルーティンのガイドラインをつくっておきたい。
・雨が降っていなかったら、ウォーキングを優先させて、着替えて外に出る
・雨が降っていたら、読書をする
これを基本とする。
 
とはいえ、2つともやりたいので、以下の項目をつけ加える
・5:30に起きることを目標とする
・その場合、5:45までに家を出ることを次の目標にする(起きてからついついTwitterを開いて見てしまうのを抑える←これが難しい!)
・6:00を過ぎてしまったら、あきらめてウォーキングだけをすることとする(雨が降ってたら読書)
 
とりあえず、このガイドラインを守っていきたい。それでも迷ったり悩んだりという事象があったら、また考えたい。
 
ということで、ずいぶん意識高いの人間なったな、自分で感心したという話でした。