出張は福利厚生である

新型コロナウイルスの影響で、人の行き来が止まっている。
 
企業においても、とくに都市部で在宅勤務が広まっており、全国的に見ても、営業で他社の企業を訪問するという行為はほとんど行われていないのではないだろうか。出張なんてもっての外である。
うちの会社は、本社は地方にあるが、東京・大阪にも営業所があるので、毎月管理職や営業担当は本社に戻って会議に参加しているが、さすがにこのご時世移動するわけにも行かず、Zoomを使ってウェブ会議を実施している。
営業に関しても、おそらくもう少し先までは訪問ができないことが予想されるので、Zoomなどを使ってのウェブでの面談をするように指示しているところだ。
ITに対するリテラシーは高くない会社であるが、必要に迫られればできるもので、コロナも悪いことばかりではないと思ったりしている。
 
さて、ここからが本題。
前々から、わざわざ出張をする意味ってあまりないのではないかと思っていた。
これは出張が嫌いという話ではない。むしろ私は好きだ。
もちろん出張の意味がゼロというわけではない。対面で話したほうがリモートで話すよりいいこともわかっている。ただ、そこにかかるのコストの差を考えると、そのコストを許容できるだけのパフォーマンスの差はないと思う。
こういうことを言うと、いろいろなところから反論が出てきそうだが、出張をしてまで商談することの意義って実は半分くらいしかなくて(半分もないかも)、残りの半分は福利厚生みたいなものだという話である。
 
実際、うちの会社の営業担当も「会社に入ってから、いろいろなところに行かせてもらって、すべての都道府県をまわることができた」といった発言をしていたのが、これは出張というのは半分くらいは旅行のようなものであるという感覚が(無意識下に)あるのだと思う。
私自身も、前職時代、頻繁に出張に出るという感じではなかったが、それでも国内だけではなく海外への出張にも行かせてもらった。
もちろん仕事なのだが、ちょっとウキウキするところがあったことは覚えている。
 
さて、今回のコロナの件で、出張に行って話をする内容自体は、本当は電話でもウェブでもできるし、わざわざ行く必要がないことがわかってしまった。
いや、前からわかっていたのだけど、それが証明されてしまったと言ったほうが正確かもしれない。
 
必ずしも行く必要はないだが行きたいから行く、という感じだったのが、これからはそうも行かなくなるかもしれない。
今後出張というのものはどうなっていくのだろうか。
 
私自身は、経営者として自社の出張の回数はもっと減らすことができるなと思っているが、一方でゼロにするつもりもない。
上記のとおり福利厚生的な意味があり、出張に出ることができるというのは営業マンの特権だと思っているからだ。それをすべて取り上げてしまうとモチベーションの低下につながると思っているので、最適な出張の回数を探っていきたいと思っている。ただ、ウェブでの面談はもっと増やすべきで、これを機に活用するよう進めていきたい。
また、効率を良くし過ぎると、逆に効率が悪くなる可能性がある。社内のコミュニケーションにおいても、社外のコミュニケーションにおいてもムダ話することに意味があることが多いので、ここは気をつけておきたいと思っている。
 
他の会社においても、今後企業の出張は減っていくのか、それとも前のように頻繁に行われるのか、意識してみてみたいと思っている。
よく、コロナで世界は変わるという論調と、そんなに変わらないという論調があるが、出張の動向はそのどちらの要素が強いのか、測る指標として面白いのでないかと思っている。
 
ということで、コロナが終息したら、どういう理由で出張に行くかをいろいろと考えないといけないなと思い始めている、という話でした。