娘の学校の学級懇談会で思ったこと

3月も下旬、年度末ということで、娘(小学二年生)の学校の学級懇談会なるものがあるということで参加してきた。
1,2学期末には個別面談があるのだが、3学期は個別面談ではなく、保護者がみんな集まって、通知表をもらって帰るというスタイル。先生が少し話をして、1年間の思い出のスライドを見て帰るといった内容で、正直わざわざ行く必要がない内容である。
通知表やその他の資料は子どもに持って帰らせればいいし、思い出のスライドはYouTubeで限定公開にでもしてアップしておいてくれればいい。
 
と、学級懇談会をやること自体にも不満はあるのだが、そこでの担任の先生のスピーチが正直ひどかったのでガッカリして帰ってきた。
 
この担任の先生、2年目ということで新米の先生。
1年目は田舎の学校だったということでクラスの児童数が少なかったようだが、2年目で異動してきた娘の学校は市内でもおそらく一番児童数が多い学校。担当のクラスに悪ガキが揃っていたこともあって、当初は学級崩壊に近い状況だった。
その後、どうにか持ち直したようではあるが、それでも子どもたちには舐められているようで、正直クラスを統制できている感じではなかった。
ただ、2年目の先生ということで、ある程度は仕方がないなと思いながら見ていた。
 
で、今回の学級懇談会。
さっそく至らぬ点が多かったと弁明が続くので、もっと堂々と話をすればいいのにと思っていたら、今後もっといい先生になれるようにがんばっていくといった決意表明みたいなことを言い出したので、何か勘違いしているのではないかと思った。
さらに、途中からクラスが落ち着いてきたねとか、授業に集中できるようになったねと言われてうれしかった、みたいなことを言い出す始末。それは単純に、それまでがひどかっただけで、その分子どもたちの成長が遅れたことを意味する。子どもたちが成長したということを言いたかったのかもしれないが、聞いている親たちは、先生も少しは慣れてきて、いろいろと工夫をして、徐々にクラスをまとめることができるようになったとしか思わなかっただろう。
子どもたち(や親)にとって担任の先生は、今年がすべてであって、言い方は悪いが、その先生の成長はどうでもいいことである。もちろん、がんばって成長していってほしいとは思うが、それは自分で言うべきことではない。子どもの成長のために先生がいるのであって、その逆ではないのである。
このあたりが根本的に理解できていないような気がした。
 
まだ若い先生で、指導力が弱いのは仕方がないと思っていたが、根本的な勘違いをしているのであれば、今後も改善は難しいのかもしれないなと思った次第である。
 
ということで、小学二年生の娘の学級懇談会に行って感じたこと、でした。

 

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