下校時の点呼に見る、学校の先生のストレス

先日、娘(小学1年生)の授業参観に行ったときのこと。
授業参観は午後からの授業で、その後は下校ということで、いっしょに帰る親はちょっと待っておく、という段取りだった。
 
授業後の帰りの会のようなものが終わったら、すぐに帰るのかなと思って待ってたら、靴を履いて外に子どもたちが並んでいた。
どうやら、普段は1年生はいっしょの方向に帰る児童が集まって、そこで点呼をとってから、途中までいっしょに帰ることになっているようであった。
そこで、点呼が終わった後に、先生に一声かけてから娘といっしょに学校を出ることになった。
 
この下校時の点呼を見て、だいぶ時代が変わったなと思った。
かれこれ40年近く前になるが、私が小学校に入学したころは、教室で挨拶をしたら、先生の管理を離れて自由に下校していたと記憶している。
学校の先生からすると、責任範囲は学校での生活だけでなく、家に無事に帰るまでに変わっているようで、1件でも事故を起こしてはいけないという感じがひしひしと伝わってきた。
時代が違うと言えばそれまでになるが、昭和後期と令和では考え方が大きく違うように感じた。
 
そう考えると、先生の精神的な疲労というかストレスは、一昔前と比べると大きくなっているのかもしれない。
良くも悪くも、子どもたちとは上下関係があり、下校すれば放っておけばよかった時代に比べ、子どもの数も少なくなり、親の目も厳しくなっている現在では、下校時の安全に限らず、1人ひとりに対する気の遣う量がかなり多くなっているように思われる。
 
ちょっと視点はことなるが、今回の授業参観でも、先生が児童に声をかけるときは、男の子に対しても「さん」づけをしていた。
どうやら、「君」と「さん」で分けることをしないようにしているようで、このあたりでもLGBTを気にしているのかわからないが、こういった細かなところでも、昔に比べると神経を使っているように感じたりもした。
 
どちらにしろ、一人ひとりの児童に対する気遣いや安全に対する配慮が、昔に比べて、多く求められるようになっており、先生から見ると精神的に苦労する時代になっているのだろうなということを感じた次第である。
中学校などでは、部活の担当を外注化するような動きもあるようだが、これは働き方改革という時間の問題だけでなく、精神的な負担を軽減するためにも必要なことだと感じた。
 
ということで、今の先生の仕事は細かなところでストレスが多くなっているのではないか、という話でした。