先日、小学2年生の娘の参観日に行ってきた。
家では、ベネッセが提供する教材で勉強できるということで、自主学習にも使えるようになっている。
まずは、今回の授業の様子を見ての感想だが、何に使えるかよくわからないけれど、とりあえずこれからはタブレットだろう、ということで配られた感が半端なかった。
使用する場面は、先生のお題を調べるときと、回答を先生に送るという2回。
調べると言っても、何か検索するような使い方ではなく、当てはまる言葉を探そうというもので、そもそもその言葉を知っていないと探せない。
自分が知っている言葉を入力するだけなので、タブレットは必要ない。
もう1つの先生の回答を送るというのも、タブレットでないとできないかといえば、そうではない。普通に発表させたほうが早いだろう。
メリットがないことに加えて、デメリットも多い。
タブレットの操作がうまくいかない子どもたちの対応を先生がしていると、その間他の子どもたちは暇な時間になってしまい、結果として勝手に話をしだし、収集がつかなくなっていた。
とくにまだ経験の浅い先生は、下手にタブレットを活用した授業を行うのは、リスクが高いように思われた。
そんな感じで、授業中はおもちゃ以上にはならず、はっきりいって必要ないどころか、邪魔にすら思えたが、家庭学習でもそれほど活躍するとは思えない。
いっそのこと、紙のドリルを一切やめて、宿題はすべてタブレットにするくらいの利用方法であれば、まだ意味があるかもしれないが、中途半端な感じは否めない。
では、どうすれば学校教育においてタブレットが活用できるか、その場面として私が思いつくのは、検索などの調べものと、遠隔授業くらいか。
検索だけでなく今後はAIの活用などでパソコンやタブレットを活用していくのは大事であると思うが、少なくとも小学2年生にはまだ早い。
そんなこんなで、タブレットは(少なくとも小学校低学年には)必要ないと思った次第である。
ということで、学校教育におけるタブレット活用は、手段の目的化の域を出ていない、という話でした。