忘れないことと借りることができること

先日、娘(小学1年生)授業参観に行ってきたのだが、そこで教室の子どもたちを眺めていると、みんな机の上に筆箱が置かれていた。
みんな似たような箱型の大きな筆箱使っているんだなと思いながら、私の娘の机を見ると、筆箱がなく、鉛筆と消しゴムがぽつんと置かれていた。
その瞬間、しまった、と思った。前日、筆箱を別のカバンに入れて公文に行っており、それをランドセルに入れ替えるのを忘れていた。
きちんと確認しとけばよかったと思ったが、次の瞬間、まあ大きな問題ではないかと思い直した。実際、借りることもできているみたいだったし。
 
そのときふと思ったことが、学校教育では(というか日本全体かも)忘れないことが大事という価値観が重視されている、ということ。
私が子どものときを思い出しても、忘れ物はそこそこ悪いことという価値観がまん延していたような気がする。筆箱や教科書、ノートだけでなく、給食セットや上履きのようなから、名札に至るまで、何か忘れ物をすると、1日暗い気分で過ごさなければいけない感じになる。名札なんて、1日なくても何も困らないのに。
筆箱や教科書あたりも、隣の子に借りればいいし、ノートはさすがに借りることはできないだろうが、先生に何か紙をもらって、そこに書いて、帰ってからノートに貼ればいい。
給食セットや上履きがないと本人が少し不便になったりするだけで、1日我慢すればいいだけである。
 
冷静に考えれば、忘れ物をしたとして、大きな問題でないのである。
今はどうかわからないが、少なくとも私の子どものころは、先生からもまわりからも相当悪いことしたと言われたような記憶があり、かなりバツの悪い思いをしたのを覚えている。
娘からハッキリ聞いたわけではないのでよくはわからないが、おそらく今もそれほど変わっていないのではないだろうか。
 
もしそうだとしたとき、忘れ物はしないようにと指導することは大事だが、それと同時に困っているときに助けを求めて借りることの重要性も教育する必要があるのではないかと思った。
人間、誰しも完璧にできるわけではない。日ごろきっちりしている子でもミスはする。そのときに(まわりが助けてあげるということではなく)自分がまわりに助けを求められる能力も大事なのではないかと思ったわけである。
当たり前のことだが、自分が助けを求めるのであれば、まわりの人から助けを求められたらそれに応える必要もある。そうやって、いい意味での持ちつ持たれつの関係を築いておくことが大事かと思う。
 
ちなみに私はこれが苦手である。ちょっとしたことでまわりに助けを求めるということができない。まわりに助けを求められるのは、頼ってもらってうれしい気持ちになるのだが、自分からはなかなか助けを求められない。
そんなこともあって、娘には、自分がミスしないことは大事だが、ミスしたときに助けを求められる能力、まわりがミスしたときに助けてあげる気持ちのもちよう、これらを身につけておいてほしいなと思った次第である。
 
ということで、日本の教育において、忘れものに対する脅迫観念が強いのではないか、という話でした。