学校の先生になりたかった

先週、娘(小学1年生)の授業参観に行ってきた。
まだ1年生ということで、授業も収集がつかなくなるのではないかと、ちょっとだけ不安な気持ちをもちつつ参加したのだが、ベテランの先生ということもあって、秩序を保ちながら、子どもたちも自由に発言していて、良い授業だったように感じた。
 
そんな授業を見ながら、一方で自分だったらこんな感じで進行するだろうな、というアイデアもいくつか浮かんだ。
今回の授業はあさがおを育成を振り返るという内容だったのだが、私なりにここはこうやってほうがいいのではないかとか、子どもたちにどうやって考えさせたらいいかなど、考えていて楽しかった。
 
そんな感じで授業参観を見ていると、そういえば、私は子どものころ(中学生のころまで)、学校の先生になりたいと思っていたことを思い出した。
算数や数学が得意で好きだったので、数学の先生になりたいと思っていたなあと。
 
さらにそこから私はなぜ学校の先生の何に憧れていたのか考えたのだが、授業を見ながら、学校の先生の2つの能力に魅力を感じてたことに気づくことができた。
 
1つが、プレゼン力。
授業が面白くわかりやすい先生は、子どもが理解しているレベルを把握して、そこからさらなる知識を積み上げていく。そこに具体例や気を引く話を入れたりして、飽きないように子どもたちを取り込んでいく。
これはいわゆるプレゼンテーション能力と言えるかと思う。わかりやすく説明して、相手に理解をさせる。「わかる」経験をさせてあげる、そんな姿に憧れていたことに気づいた。
 
もう1つが、MC力。場を仕切る能力である。
一方的に説明するだけでは授業はつまらないし、子どもの理解も頭打ちになってしまう。いい具合に意見を出させたり、議論を誘導することも求められる。さながらMC力と言える能力が先生には求められる。
授業のうまい先生はここがうまい。子どものレベルに応じて適切な問いを出すことで、自信をつけさせ、理解を進めさせることができる。そんなことができるとかっこいいなと思っていたことを思い出した。
 
さて、私は次第に学校の先生という選択肢を自分のキャリアから外して、違う道を考えるようになっていくのだが、プレゼンとMCがしたいというところは変わっていないことに気づいた。
毎年年末に、うちの会社では来年度の計画を立てる会議が行われるのだが、その会議では私が話す内容を考えて、私が取り仕切る。これはまさに子どものころになりたかった姿だなと思った。子どものころになりかった自分に、なれていると考えることもできる。
そう考えると、この会議、準備は大変なのだが、やりたかったことができている喜びを感じて取り組まなければいけないなと思った次第である。
 
ということで、子どものころ何に憧れていたのか、要素分解することができた、という話でした。