叱れないと自己責任の世界になる

うちの娘も小学校に入学して早くも1年を迎えようとしている。
勉強自体はあまり楽しくないらしく、とくに最近は朝寒いので起こしても学校行きたくないなんて言うが、それでも行ってしまえばそれなりに楽しくやっているみたいなので、今のところは、大きな問題はないかなと思っている。
 
ただ、1つ問題だと感じているのは、本人の遅刻に対する認識について。
毎日というわけではないが、可能な日は、私もいっしょに登校するようにしている。朝早く起きて、早めに家を出た日はいいが、どうしても遅くなってしまうときがある。
問題なのは、こういう日であっても、娘がいっこうに焦らないこと。なんなら遅刻してもいいじゃん、と言ってくるくらいである。
 
2学期終わりの先生との保護者面談では、なるべく早く学校に来て、余裕をもって準備できるようにしてほしい、と言われたので、家を出るのが遅いと私のほうが焦って、娘に早く歩くようにせっつくことになる。
それでも、娘はマイペース。マイペースを言えば聞こえはいいが、まわりへの迷惑がイメージができていない。
 
そこで、遅刻したら先生に叱られないの?と聞くと、叱られない、と娘。
うちの娘も厳密には遅刻しているわけでなく、少し学校につくのが遅いくらいなので、それで厳しく叱れることはないのだと思うが、さらに娘に確認しても、どうも仮に本当に遅刻してもあまり厳しくは叱ってはいない模様である。
 
このあたりは、先生の立場からすると時代も変わって、叱り方や注意の仕方が難しいのだと思われる。
体罰なんて以ての外だし、言い方も気をつけないといけない、ということで、私たちが子どものころと比べると、だいぶマイルドになっているのだろう。
 
子どもから見ると、厳しく注意をされないことは問題のないことだと認識してしまうので、それが当たり前をなってしまいがちである。
ただ、そのままの感覚で育ってしまったときに、社会に出てから困るのはその子どもである。
 
そう考えると、厳しく叱れないということは、どんどん自己責任の世界になっていくんだなと、感じた次第である。
 
これは子どもだけのことではないかもしれない。
最近では、会社でも上司が部下になかなか厳しく接することができなくなっている。もちろん一方的な指導はよくないし、昔は良かった的なことを言うつもりもないが、ただ何も言えなくなってきて、常識的なことも知らずに育ってしまう若手が増えていることもまた事実であろう。
上司や先輩から見ても、若手から見ても、なかなか難しい時代になってきたと感じる。
 
ということで、しつけは大事である、という話でした。