マスクをつけるかつけないかなんて、一人ひとりが考えればいいことなんだけど

新型コロナウイルス感染症感染症法上での位置づけが第5類に移行されることを受けて、マスクに関する論争が活発化している。
文科相が卒業式でのマスク着用について言及して話題にもなったりしているが、なんでもかんでもお上に決めてほしいという発想は、日本人の国民性を表しているようにも感じる。
 
マスクをつけるべきかどうか。
この議論に対する私の意見は、個人一人ひとりが、その場その場で判断すればいい。というもの。
新型コロナというウイルスと感染症の原理原則さえ理解しておけば、どういう場面でマスクをつけておいたほうがいいか、どういうところでは外しても問題ないか、ということはすぐにわかる。
 
私自身、3年前コロナ禍に入ったタイミングで、このあたりの原則論はちょっと勉強してある程度は理解できたので、マスクをつけるタイミングなどは自分で判断してきた。
例えば、ランニングするときはマスク着用の必要ないし、一人で車を運転するときももちろん必要ないし、外していた。新幹線で一人で乗車しているときや、コンビニで短時間の買い物をするときも、マスクは必要ないのだが、世間の感覚も横目で見ながら、こういうときはつけていた。
 
事程左様に、個人個人がきちんと知識をもっていれば、マスクをつけるかどうかなんてことは各自で判断すればいいことなのである。これは今に始まったことではなく、これまでもそうであった。
 
しかしながら、これまでのコロナ禍の3年間、日本政府も、マスコミも、学校も、こういった原則論を伝える努力をせずに、ただただマスクをしろと言ってきただけだった。
初期のころはこれで良かったと思うが、原則論ではなく、マスクの着用を呼びかけることしかしてこなかったことの罪は大きいように思う。
もともと、お上に決めてほしいと思っている国民性に加えて、抽象論を飛ばして、具体論でマスクをつけようとしか言ってこなかったので、考えることをせずに答えだけを求めるようになってしまっている。
 
なので、このまま5類移行が進み、マスクは各自の判断で、とやってしまうと、各地でのトラブルが続出すると予想する。
これまで何も考えずに、マスクをつけてくださいとしか言われてこなかったところに、これからは自分で考えてくださいと言われても困る、というのが大方の反応だろう。
それでも各自の判断となると、感覚的に決めることになって根拠がないので、意見が割れたところでドラブルになる、というわけである。
 
だとすれば、今からでも、もう1度新型コロナウイルス感染症の原理原則とマスクの意味というものを、丁寧に説明していく必要があると考える。
もちろん、原則論を理解していたとしても、最終的な意見が割れることはあるだろうし、トラブルも一定数は出るだろう。しかし、その数はだいぶ減ると思われるがいかがだろうか。
 
ということで、マスクとつけるかつけないかは、各自で考えればいいことだけど、多くの人はどう考えればいいかわからないのでないか、という話でした。