外に出ることができないので娘の勉強をみて思ったこと

このGW、コロナの濃厚接触者になり外を出歩けないので、ちょっと集中して娘の勉強を見ることにした。
うちの娘はこの春小学校に進学したばかりで、まだ成績は出ていないのだが、下半分なのは間違いないだろう。
まあ、成績が少々良くないのは問題ないのだが、それでも学校の授業についていけずに面白くないとなるのは避けたいところ。どうにか授業にはついていってもらいたいと思っている。
 
現時点で、ひらがなは、あいうえお、かきくけこ…、と順番であれば読めるが、50音表で「へ」はどこにある?と聞くと、半分くらいは答えられない。書くほうは、自分の名前は書けるが、それ以外はおぼつかないといった感じ。
算数は、100までの数は数えられるが、途中の数字を見せても答えられるものと答えられないものがある。足し算も、ものを見ながらであればできるが、頭の中で足すという行為がまだできない。
 
幼稚園のころから言葉の発達が少し遅いと言われていたので、多少危機感はあったのだが、娘の1年生の教科書をパラパラめくって見てみると、これはやばいぞと思いはじめた。
 
で、いざいっしょに教科書を読んで、ひらがなや足し算をやってみると、正直まどろっこしい。さっきやったのに、数分後には忘れていて、またもう1回と、何度繰り返せば覚えるのだろうとなってしまう。
 
自分で言うのもなんだが、私は子どものころから勉強はできたほうで、算数は公文で3学年くらい進んでいたのでお手の物。時計も問題なく読めていたし、小学生になったときには自分の名前くらいは漢字出かけていた記憶がある。少なくとも小学校の授業でわからなかったことはほぼなかった。
ただそれは、自分がすごかったわけでなく、親(といってもほとんど母親)がまどろっこしい教育をしてくれていたおかげなのではないかと、最近思うようになった。
おそらく物覚えはよかったので、教える方も多少は楽だったのかもしれないが、それでもある程度粘り強く継続的にやらないと子どもは覚えないはずである。
それを思うと、面倒くさがらずにやってくれた母親に改めて感謝したい。
 
さて、翻ってうちの娘だが、学校の授業についていける程度にやっていくためには、私がもっとコミットしないといけないと感じている。正直めんどくさいという気持ちもなくはないが、挽回するのなら早くしないといけない。
平日含めて毎日というのはさすがに現実的ではないので、土日くらいは少し時間を使って娘の勉強を見ようと思った次第である。
 
ということで、子どもの勉強にはある程度関わらないといけないと思った、という話でした。