子どもの明日は、大人の明日より遠い

週末は子どもたち(小学1年の娘と1歳10ヶ月の息子)を連れて、遊びに出るようにしてる。
先日も凧を買ったので、それをやりにいこうと、ちょっと広い公園へと出かけたのだが、その公園は思っていたよりも木々が多く、またちょっと開けた場所も凧あげをするような雰囲気ではなかった。違う公園にも行ってみたが、こちらは工事中で使えず。もう夕方で時間がなかったので、凧あげは断念することとした。
 
しかし、娘としては凧あげを楽しみにやってきたので、どうしても諦めきれない。明日別の公園に行こうとなだめるが、なかなか静まらない。
最後はどうにか無理やり言い聞かせてその場を収めたが、娘としては納得できないといった表情している。
 
こういったことはよくある。
行こうとしていた場所が混んでいたり、時間が思ってた以上にかかって予定通りいかないなんてことはざらである。
そのたびにまた今度行こうとか、来週にしようとか言って娘をなだめるのだが、なかなか聞いてくれない。じゃあ明日にしようかと提案するも、それでもダメで、今やりたい、なのである。
 
そんな娘を見て、自分の思い通りにならないと気がすまないワガママな子どもに育ててしまったのかなと思ったりもするのだが、よくよく考えると自分もそういうところがあったのを思い出す。
私も子どものころは親に駄々をこねることもあったし、どうしても今日ほしいものがあると、複数の店をまわるといったこともあった(結局なくてまた違う日に買いに行くことになるのだが…)。
そう、大人に比べると、子どもは明日までの時間が長く、遠いのである。
 
時間は大人でも子どもでもその量は同じだが、体感的には歳を取るほど時間の進み方は早くなる。
このことは感覚的にはみんな実感していると思うが、心理学的な観点からもジャネーの法則と言われ、主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象が説明されている。
 
大人になった私から見ると、時間の進み方が早いので、今日できなくても、明日でも来週でも、すぐにやってきて問題ないと思うのだが、娘からすればかなり遠い未来のように感じているのだろう。
 
そう思うと、もちろん無理なことは我慢することが大事ではあるのだが、今を大事にする子どもの気持ちももう少し考えてあげる必要があるかもしれない。そんなことを思った次第である。
 
ということで、子どもと大人では時間の進み方が違う、という話でした。