この日曜日、参議院議員選挙が行われた。
今回は、投票日当日、とくに予定もなかったので、期日前投票には行かずに、家族で日曜日に投票に行ってきた。
私はこれまで、学生のころは住民票の関係で投票しなかったのを除いては、すべての選挙に行ってきたが、今回もしっかり投票して、権利を行使することができたと感じている。
ところで。週末の安倍元総理の銃撃事件もあっての今回の選挙。私自身、民主主義というものを考えるきっかけになった。
民主主義とは、国民自らが選挙を通じて自分たちのリーダーたる政治家を選ぶ政治体制のことを指すが、私自身は他の政治体制に比べるとかなりマシだと思っているし、多くの人も(漠然と)そう感じているのではないだろうか。
日本においても民主主義に至るまでの過程は長く、多くの国民からするとその長い過程の中で勝ち得て来たものだと認識している。
しかし、いったん定着するとそれが当たり前で、元からあったものと認識(錯覚)してしまう。戦後生まれがマジョリティを占める現在においては、民主主義は元から当たり前のものになっているのが現状であろう。
さて、この民主主義、当たり前と認識するか、有り難いと認識するかによって、われわれの行動も変わってくる。有り難いと認識すれば、少なくとも投票くらいは行動に移すであろう。一方で当たり前と思えば、とくに行動に移さなくても、少なくとも明日もこの体制が続くだろうとなる。
話はちょっと逸れるが、民主主義に対してだけでなく、あらゆることに対して、当たり前と思うか、有り難いと思うかは、それぞれの人の価値観や情報量によってかわってくる。
日々の多くのことについて、一見当たり前と思うようなことでも、有り難いことと思うことによって、まわりの関わる人へ感謝の念が生まれてくる。
だから、多くの人がそう感じながら日々生活できれば、もっと穏やかな世界になるのではないかなんて思ったりする。
話は戻って、今回の選挙。銃撃事件を経ての選挙ということもあり、民主主義とは有り難いものだなと、私自信改めて感じている。
多くの人に、民主主義を有り難いものだと思え、とまでは言うつもりはないが、選挙のときくらい、これは当たり前のものなのか、有り難いものなのか、ちょっと考えてみてもいいのではないかと思った次第である。
ということで、当たり前と思うか、有り難いと思うかで、同じものも違うように見えてくる、という話でした。