闘病が続いていたということは知っていたが、まだ65歳という若さで、子どものころから見ていたプロ野球選手ということもあり、少なからずショックを受けた。
私が物心ついて、野球を見出したときには、すでにカープのエースで、北別府・大野・川口の三本柱を形成していた。
成績は、通算213勝、11年連続二桁勝利は有名。
大野が43歳までと現役が長かったこともあって、北別府は引退が早かった印象があるのだが、調べてみると1994年まで現役を続けており、37歳での引退であった。
完投数も135と、今のように分業が当たり前ではない時代で、完投数も多かったことも考えると、かなり長い現役であっと言える。
20勝をマークした1982年の完投数は19。もちろん全部が完投勝利ではないだろうが、すごい数字である。さらに、選手晩年の1992年、35歳の年に14勝をあげているが、この年も完投数は4。
今年2023年は現時点で半分弱の試合が終わっているが、カープのチーム全体で完投数は3しかなく、時代の違いを感じる。
また北別府と言えば、コントロールの良さが挙げられるが、20勝をあげた1982年の与四球が44。この年は、36試合(35試合が先発)に登板しているので、単純計算で1試合あたり1.22。イニング数は267.1なので、6.07回に1回しか四球を与えていない計算になる。
晩年になっても、そのコントロール力は落ちておらず、14勝あげた1992年も与四球は28と、6.46回に1回しか四球を出していない。
そんな成績を振り返ってみて、私がよく野球をよく見ていた小学生のころ、北別府はずっとエースを張っていたんだなと再確認できた。
大野ファンだった私としては、同じカープの中でも北別府を少し敵対視していた部分もあったのだが、改めて成績を眺めてみるとものすごい選手だったのだと思い知らされた。
訃報に接して、北別府の成績を振り返り、投手王国のカープを思い出した次第である。
北別府学氏のご冥福をお祈りします。