Voicyフェスの違和感

Voicyにてこの3日間開催されている「Voicy Fes'22」。
インターネットラジオサービスのVoicyがこの時期に毎年行っているお祭りのようなもので、Voicyのパーソナリティ同士の対談が多く組まれている。
 
このVoicyフェス、なんとも言えない違和感があって、去年もその違和感について書いたのだが、さらに今年ちょっと思ったことがあるのでまとめておきたいと思う。
 
その違和感の原因の大きな部分は、(去年も書いたのだが)内輪で盛り上がっている感が強い、というところがある。
遠隔地でもコミュニケーションが可能なこの時代に、パーソナリティが同じ時間・同じ空間にわざわざに集まって対談することの意義が薄れていると感じる。
これが、リスナーも同じ空間にいるのであれば、ライブでやる意味があるのだが、配信であればわざわざ同じ時間・同じ空間である必要がない。
 
リスナーがいないとなると、パーソナリティのためのお祭りとしてこのVoicyフェスをやっていることになる。
Voicyはパーソナリティ・ファーストを掲げて、パーソナリティを最優先にサービスを構築しているので、そういう意味では意義のあるお祭りだと言えなくはないが、その分内輪感というか接待感が否めず、リスナーが置いていかれている感じがどうしてもしてしまうのである。
 
これがリアルのイベントで、それに加えてリモートやアーカイブでも聞けるということであれば、この違和感はなくなるのだと思う。
もうコロナのリスクもそこまで心配する必要はないし、観客も入れてのイベントのほうが、純粋にお祭り感もあっていいと思うのだが、どうだろうか。
 
加えて、違和感のもう1つの原因が、このフェスに参加するパーソナリティの選び方がなんとも恣意的というか、見栄え重視というか、たまにしか配信していないパーソナリティでも、有名な人をチョイスしているように見えるところにある。
その年あまり活躍していない選手がオールスターに選ばれる違和感に似ていて、そこの線引きはきちんとしてほしいなと思ってしまう。
イベントを盛り上げるという点からすると仕方がない面もあると思うが、ちょっと冷めた目で見てしまうことにつながっていると思う。
 
とはいえ、今回はちょっと面白そうな対談も多く、このVoicyへの参加チケットを購入しようかちょっと迷っている。
単品購入できるのであれば聞いてみたいと思う対談がいくつかあるのだが、一括聴き放題課金なので、購入するかどうかもう少し迷ってみようと思う。
 
ということで、ちょっと冷めているいるけど、でも聞いてみたい、という話でした。