子どもの健診やワクチン接種に見る、父親の子育て参加について

先日、インターネットラジオ配信サービスVoicyの「モンテッソーリ子育てラジオ」で、健診で大人は女性だけだったことに違和感を覚えたという話をされていた。
 
 
子どもの親は母親だけ、先生も含めて大人はほとんど女性だったとのことで、子育ては母親だけでなく父親含めていっしょにやっていくものなのに、現状の日本社会では子育ては女性が主体となってやることが当たり前になっていることに疑問を感じていたという内容であった。
 
さて、この話を聞いて、私も同じようなことがあったのを思い出した。
それは先日行った、娘(小学1年生)のコロナワクチン接種の病院でのこと。
息子がまだ2歳前で小さいこともあり、妻にまかせるよりも私の都合がいい日に行ってしまった方がいいだろうと、平日夕方に時間帯に予約したのだが、当日病院に向かうと、子どもたちの親はお母さんしかいなかった。
平日とはいえ夕方(18時過ぎ)だったので、お父さんの姿もあるかと思いきや私一人で、私が例外であることを強く感じた。
思えば、このときだけでなく、これまでも子どもが風邪をひいたときに病院に付き添ったり、ワクチン接種に同行したりというのは何回かあるのだが、お父さんの姿はほとんどみたことがない。
 
冒頭の配信にあったように、日本では病院の付き添い含めて、母親が子育ての主体である家庭が多いことは間違いないだろう。
私自身も元々は母親が子育ての主体であるという考えが強く、妻が大変そうだったのを見て育児参画するようになっただけなので、あまり大きな顔しては言えないのだが、それでも夕方の時間でも父親が一人もいないのにはちょっとした違和感があった。
 
ここではどちらがいいかを議論するつもりはないし、予防接種なんかは父親と母親のどちらか都合のいい方が行けばいいと思う。無理に父親が行くべきと言うつもりもない。
ただ、都合のいい方が行くという判断もせずに、無自覚に母親が行くとしている家庭が多いと思われ、それはちょっと健全ではないと考える。
なぜなら、病院に限らず、無自覚に子育ては母親がすべしという意思決定を繰り返していくうちに、徐々に母親側の不満がたまっていくからである。
 
結局は各家庭で決めればいいというのが大前提ではあるが、各家庭がもう少し自覚的に意思決定を繰り返せば、全体で見ればもう少し父親が病院に付き添う姿が見られることになるだろうと思うが、どうだろうか。
 
ということで、慣習に流されるのではなく、自覚的に意思決定してはどうか、という話でした。