コロナ下における団体の総会の開催可否~演繹的に考えるか、帰納的に考えるか

先日、とある業界団体の会議がウェブで開催された。主な議題は、このコロナ状況下にあって、定時総会を行うかどうか。
 
例年、定時総会と懇親会をあわせて開催しているのだが、ここ2年は開催をせず書面での決議ということにしている。
今年も早々に懇親会は中止にすることとし、定時総会のみを行うかどうかということが議論の中心であった。
 
この総会の開催の可否については、要は感染リスクの高さがポイントになるが、懇親会を開催しないのであれば、参加者のマスク着用と体調が悪い人が入場拒否を徹底すれば、感染リスクはかなり低い。
やってもやらなくても、ここでクラスタが発生するような事態にはまずならないであろう。
であれば、2年間やっていなかったので今年は総会だけでもやるという意見もありだし、30分程度の総会のために多くの人を集めるのは無駄が多いので書面決議でいいのではないかという意見ももっともだと思う。
あとは、団体の長が(好き嫌いで)決めればいい、というのが私の意見でだった。
 
ちなみに、対面での総会実施、書面決議の他に、ウェブでの開催という選択肢もあったのだが、この会議自体ウェブ接続がうまくいかずに開始が遅れたということもあり、これを大人数の総会でやるのは別のリスクが高いので、このもう1つの選択肢は挙げずにおいた。
 
さて、この総会の可否について、他の人の意見を聞いていると、他の地域の業界団体は対面での総会を開催しているとか、自分の地域の別の団体は総会は開催していないとか、そういった意見と言うか情報提供が多かった。
上述のとおり、ここでのポイントは感染リスクだと思うのだが、どうも他がどうしているのか、世間がどう思っているのかといってことが論点になっているのである。
 
当たり前のことだが、他のやっていようがやっていまいが、この総会の感染リスクに影響するわけではない。
もちろん、他の団体を参考にしてもいいし、風評リスクを鑑みると、横に倣えという思考になってしまうのも仕方ないと思う。
ただ、それ以前に、感染症の原則と現在の感染状況から感染リスクを判断するのが先だと思うのだが、それをすっ飛ばして、とりあえず他を見るということに違和感を覚えたというわけである。
 
演繹的に論理を積み重ねていけば、このパターンでは感染リスクはこのくらいになるであろうという議論があって、それから他所はどうなっているのかということで、帰納的に検証するというのが手順だと思うのだが、前者の発想がスポッと抜けているのである。
 
こういったことは、このコロナの問題ではよく見かけたが、2年経った現状でもこんな感じなのかと、少し気が重くなった。
この分だと、コロナ禍は(人的要素が理由で)もう少し続くんじゃないかと思った次第である。
 
ということで、議論を進めるには演繹的なアプローチと帰納的なアプローチがある、という話でした。