目標は2つくらいに絞ったほうがいいのかもしれない

昨日のこのブログで、今年の目標として掲げている3つの目標、ブログ、ランニング、読書のうち、読書だけが目標未達で、その原因と対策について書いた。
その対策自体はきちんとやっていきたいとは思うのだが、そもそも3つも目標を掲げること自体が間違いではないかと思い出した。
 
今年の年初にこのブログでも書いたが、「実行の4つの規律」という、「7つの習慣」でおなじみのフランクリ-コヴィー社から出ている書籍では、組織において行動変容を促すための目標は、最重要な1つか2つに絞るべきと主張してる。
最重要目標が1~2つに絞られているときと、3~5個のときと、それ以上のときでは、増えれば増えるほど、目標達成率は下がるとのことだった。
 
これは組織に限らず、個人の目標でも同じであろう。
個人のリソースである時間や意志といったものは限られているので、その限られたリソースを複数に振り向けると、すべてが中途半端になってしまうというわけである。
 
とはいえ、計画を立てる段階ではあれもやりたいこれもやりたい、こっちもやらなければ、と目標を多く掲げてしまうことが多い。
多くの人が経験していると思うが、試験勉強の前に計画を立てると、すべての教科の満点を取るみたいな、いやに立派な計画になってしまう。しかし、いざ実行の段になると時間や意志といったリソースは限られて、集中できる項目は少なくなる。
それでも、どこかに集中できればいいほうで、ややもするとすべてが中途半端に終わって、どこも満足できない結果に終わってしまう、なんてことは多い。
頭ではわかっているのだが、目標の段階であれもやりたいこれもやらねばという誘惑に勝つことはなかなか難しい。
 
そう考えると、私も年初の段階でこの目標を増やす誘惑に負けていたと言える。3つもできないのに、絞り切る意志が弱かったのである。
ただ私の場合、3つ目標を立てたが、途中で(無意識のうちに)1つを捨てて、2つに絞っていたとも言える。結果的には、3つを追って3つともダメになるよりかは、1つを切って2つ残っている点においては随分マシだったとも考えられる。
もっと言えば、心の中で優先順位はつけられていたのだろう。だから、時間や意志のリソースに限りがあると判断した時点で、無意識に絞ることができたのではないだろうか。そんなことを考えた次第である。
 
ということで、今さらながら、1年の重要な目標は2つくらいに絞って運用したほうがいいということに気づいた、という話でした。