感覚の世界にいると時間の進み方が遅く感じるのかもしれない

先週末、新型コロナのワクチンの2回目接種に行ってきた。
感想は先日のブログにも書いたのだが、翌日は発熱もあり、ボーッっとしたまま1日が過ぎた。
能動的なことはやる気が起きないので、休日だったこともあり、テレビを見るか、スマホで動画を見るかだけであった。
 
そんなこんなで1日が過ぎたのだが、このとき感じたのは、1日の時間の進み方が遅いということ。
普段の休日であれば、あっというまに1日が終わってしまうのに、この日はかなり長かった印象である。テレビや動画も、いつもと同じ番組を見てても、いつもより見終わるまでの時間が長く感じたし、見終わって時計を見ても思ったより時間は過ぎていないのである。
 
それは、やることがなかったからではないかと言われると、たしかにテレビや動画を見るか、寝てるかくらいしかやることはなかったが、暇をしてたという感じではなかった。
苦しかったから時間が長く感じたのではないかと言われると、苦しくないわけではないのだけど、風邪とは違って咳や喉の痛みがあるわけではないので、正確には苦しいよりかはだるいだけ。テレビや動画見るだけならそれほど苦もなく見ることができた。風邪の症状があったら、程度にもよるが、テレビをみるのもきついかもしれない。
 
なんてことを考えていると、1つの仮説にいきついた。
それは思考のスイッチが切れて、感覚の世界にいると時間の進み方が遅く感じるのではないか、というもの。
前に、サウナに入ると、思考のスイッチが切れて感覚の世界の入ることができるということを書いた。今回、図らずもワクチン接種の副反応の発熱によって、思考のスイッチが強制的に切れて、感覚の世界にいる時間が長かったのではないかと感じた。そして、感覚の世界に入ると時間の流れ方がゆっくりに感じるのではないか、と思い至ったわけである。
 
よくよく考えてみると、子どものころというのは、いわゆる動物的な感覚の世界にいることが長いと思う。考えるよりは、感じるといった感覚の時間が長い。だから時間の流れがゆっくりに感じるのではないかと思ったりもした。
私は子どものころ、年に1回家族で母親の実家に行ってたのだが、その際の新幹線での移動の時間が長くて苦痛で仕方なかった。それが今では、新幹線での移動の時間は苦痛どころか、毎度もう着いたのと思うくらい、あっという間の時間である。これも子どものころは感覚の世界にいる時間が長かったのに対して、現在は思考の世界にいるほうが長いということが原因ではないだろうか。
 
よく新しいことをすると時間の進み方が遅くなるとも言われるが、これも未知の場所や体験によって生存本能が優位になり、感覚が研ぎ澄まされて、思考よりも感覚が優位になるからではないだろうか、と思ったりもする。
 
そう考えると、ワクチンの翌日は副反応も強く、倦怠感でだるい1日ではあったが、強制的に思考のスイッチが切れて、久しぶりにゆっくりな時間の流れを経験ができたのかもしれない。
 
ということで、またワクチン接種の機会があれば、今度は前向きに感覚の世界を楽しみたいと思った、という話でした。