大阪の野戦病院の準備は、ワクチン一巡後に日常生活を取り戻すという強い意志の表れか

大阪で野戦病院を開設するというニュースが流れた。
このニュースを聞いて、私はあまりいい打ち手ではないと思った。
なぜなら、医療キャパシティを増強すればするほど、そこまで感染者数が増えてしまい、収束させるのに逆に時間がかかってしまうからである。
 
去年と比べると全国各地で医療キャパシティは増大しているが、その分感染者数も増えている。
キャパシティ限界(=医療崩壊)まで感染者を許容してしまうことになってしまうので、医療キャパシティは増やさないほうがいいのではないかと思っている。
それに感染者数は指数関数的に増えてしまうので、いくら医療キャパシティを増やしても焼け石に水になってしまう。
この感染者数が増大する中でどうにかしないといけないと思うのは理解できるが、以上のような理由から、この野戦病院というアイデア、中期的に見ていいことにならないのではないだろうかと思っていた。
 
しかし、昨日のこのブログの記事でとりあげたように、ワクチン接種者後の社会の状況について考えているときに、この「野戦病院」の目的が見えてきたので、ここではそれについてまとめておきたい。
昨日の記事では、ワクチン接種が進んだ後の社会の動きについての予想を書いた。
考えられるシナリオは2つで、1つは感染者数が増えてもワクチン接種者が社会・経済を回していくというもの、もう1つは感染者数が増えたらワクチン接種者も含めて行動を制限するというこれまでと同様の流れになるというもの。
私の予想は後者で、感染者数が増えて医療崩壊しながら、一方で経済を回すという状況にはならないと考えている。
 
ここでもう1回、仮に1つ目のシナリオで突き進む場合のことを考えてみたい。
この場合、ワクチン接種者は通常に近い行動をするので、ワクチンがあってもある一定数は感染してしまい、そこからワクチン未接種者にも感染は広がる。とくに、12歳未満の接種は認可されていないし、中学生・高校生あたりの接種率もそれほど高くないだろうから、子どもの感染も広がり、そこから感染拡大も予想される。こうなると、第5波以上の感染者が出る可能性が出てくる。
 
1つ目のシナリオでいくのなら、この感染増を許容しながら、社会・経済を回していくとことにあるので、それに対応できる医療キャパシティを準備しなければならない。
 
そこで出てくるのがこの野戦病院
上述のとおり、感染者を抑制することを目的とするのであれば、医療キャパの拡大は逆効果になる。しかし、ワクチン接種者が経済を回すために、ある一定期間・一定数の感染者増を許容し、その感染者に対応するために今から野戦病院をつくっておこうということであれば理にかなっている。
吉村知事は、大阪はワクチンが希望者に一巡したあかつきには、多少の犠牲を払ってでも経済を回す方向に舵を切るということを考えているのではないかというわけである。
 
そういう出口を見据えての意図をもった野戦病院ということであれば、合理的だなと感じた。
ただ、このような意図をもっていたとして、それを実行しきれるのかはわからない。新たに追加したキャパを上回るほどの感染者増となるかもしれず、やってみないとわからないところもあるだろう。
そうだとしても、このような意図というか仮説をもっての施策ということであれば、(結果の成否は別として)合目的的な意思決定だと感じた次第である。
 
ということで、野戦病院はワクチン一巡後の社会への準備なのではないか、という話でした。