一人暮らしの堕落した生活を思い出す

上の娘もいっしょに妻が出産後の里帰りということで、この連休は束の間の一人暮らしとなっている。
かれこれ5年ぶりくらいなのだが、なかなかない機会なので、あれもこれもしたいと思っていた。連休前の木曜の夜は、いろいろと想像して、寝付けなかったくらいである。
しかし、思ったようには、やりたいと思っていたことができていない。
 
例えば、娘もいないので、寝かしつける必要もないので、夜はゆっくり本が読めるな、と思っていたのだが、実際に夜になると、まったく本を読むという気にならない。
普段であれば、気力が残っていればではあるが、少しの時間でも本を読むのにあてようと思うのに、この連休中は比較的気力は残っているのに、まったくそうならない。
 
金土の夜は、アルコールを飲んでしまい、だらだらとテレビを見て、気づいたら12時を過ぎていた。
日曜の夜も、アルコールは飲まなかったものの、(普段は録画している)ドラマをオンタイムで見て、終わっても惰性でテレビはつけたまま、スマホをいじりながら、無駄に時間が過ぎていった。
学生時代や独身時代のちょっと堕落した生活を思い出した。
 
これはどういうことなのだろうかと考えてみた結果、試験勉強するときに掃除したくなるのといっしょで、何か他の大変な課題や作業があると、現実逃避でそれより少し楽なものをやりたくなるのと逆のことだと気づいた。
今回は一人なので、特段すぐにやらないといけないという作業はない(あっても明日に先送りすればいい)ので、試験前の掃除ようなことをやろうと思わないのである。
現実逃避する必要はなく、今の楽な現実を愉しめばいいのである。
 
だとすれば、日ごろもっと時間があれば、あれもしたいとこれもしたいと思っていることも、いざ時間ができたとしてもやらない可能性が高い。
結婚して子どもができてからは、自分ひとりの時間はほとんどなく、もっと時間があればと思ってきたが、仮にもっと時間ができたとしても、時間は有効には使われずに、堕落した生活になってしまうのであろう。
本も読みたい、ブログももっと書きたい、筋トレもしたい、なんなら英語も勉強したい、と思ってきたが、ほんとに時間があってもやらないのかもしれない。
 
そうなると、時間に余裕があることが必ずしもいいことではなく、時間に制約があるときのほうがやりたいことはできるということになる。
そう考えると、(ほどほどに)仕事に追われていることも、(嫁の機嫌が悪くない範囲で)育児が大変なことも、悪いことではないような気がしてきた。
そういった制約があるからこそ、より時間を使いたいと思うようになり、実際に有効に使えるのである。
 
ということで、人は自由な時間があると堕落してしまう、ということを久しぶりに実感できた連休だった、という話でした。