なぜ優秀な高校生はすぐに就職ぜずに大学に行くのか?~楠木建「大学での知的トレーニング」を読んで

現在、複数のメルマガを購読し、いくつかのオンラインサロンにも入っているのが、そのうちの1つが「楠木建の頭の中」。
私淑している楠木先生のオンラインサロン(というか、メルマガのような感じ)ということで、開始直後に入会した。
内容としては、読書メモや先生が日頃考えていることなどが書かれており、楠木ファンであれば入っておいて損はないだろう。
 
そのオンラインサロンで、少し前になるが、「大学での知的トレーニング」と題した5回連続の記事が投稿された。
楠木先生が若かりし頃、学部で教えていた時代に、学生向けに「なぜ大学で学ぶのか?」を丁寧に説明した内容だった。
 
この記事は有料のオンラインサロンで掲載されているものなので、具体的なことは書けないが、要約すると以下のとおりである。
 
・大学とは「知的スキル」を学ぶ場である。
・「知的スキル」とは①テクニカル・スキル、②ヒューマン・スキル、③コンセプチャル・スキルの3つから構成されるもので、①→②→③の順番で階層をなすものである(①が基礎になる部分)。
・コンセプチャル・スキルをまともにトレーニングできるのは大学だけである。
 
学生のときに読んでおきたかったなと思う内容だったのだが、今読んでも頭の整理に役立だったし、何より私がこれまでずっと抱えていたある疑問に対する答えを得ることができた。
 
その疑問とは、優秀な人はなぜ高校を卒業した後、すぐに企業に入らず大学に行くのか?プロ野球選手のように、高卒で企業に入るに人がいても良さそうだが、そういう話は聞かないのなぜか?である。
 
この問いに対するは答えは、なんとなくおぼろげにはわかっていたつもりだったが、きちんと言語化できていなかった。
今回、楠木先生が書かれた記事を読んで、明確に理解することができたので、ここにまとめておきたいと思う。
 
 
社会人として、しくみをつくる側の仕事(ざくっとだが総合職の仕事をイメージしてもらえれば)をする人にとって、上述のコンセプチャル・スキルがあるかないかは、その仕事の質を大きく分ける。
テクニカル・スキルはもちろん必要であるし、ヒューマン・スキルも求められるが、全体を俯瞰して本質をあぶり出す、コンセプチャル・スキルがあるかないかで仕事の幅やキャリアは大きく変わってくる。
 
もし、優秀な高校生が、そのまま大企業に入ったとするとどうなるか。
環境に恵まれれば、テクニカル・スキルとヒューマン・スキルは身につけることができるかもしれない。だけど、コンセプチャル・スキルまではなかなか身につけることはできない。
コンセプチャル・スキルを身につけるには、ある一定時間以上、考え続ける必要があるのだが、企業ではそのような時間は用意されていないからである。
コンセプチャル・スキルは、ある程度身につけることができれば、その後仕事を通じて、伸ばしていくことは可能だが、もともともっていない人がそれを仕事の中で獲得していくことは難しいのだ。
 
企業で働く時間は、アウトプットを出すための時間であり、何かを読んだり、考えたりするためのものではないので、これを持たずに社会人をスタートしてしまうと、後から身につけられる可能性はかなり低くなるのである。
 
優秀な高校生であっても卒業後すぐに企業に就職してしまうと、このコンセプチャル・スキルを見につける場はなく、その職場での優秀な管理職くらいにはなれても、その先の経営層を目指そうと思うと、頭打ちになってしまう可能性が高いということになる。
だから、企業も総合職の学生を採用しようとするときに、青田買いで高校生を採用するのではなく、大学生を採用するのである。
 
一方、プロ野球選手は、テクニカル・スキルが飛び抜けていればそれでメシが食える職業である。
もちろん、プロ野球選手においても、コンセプチャル・スキルをもっている人は、さらに飛躍する可能性は高いと思われるが、野球のことだけを考えられる時間はあるので、優秀な選手であれば、本質を見抜くコンセプチャル・スキルも身につけることはできるかもしれない。
 
そう考えると、野球選手は、大学に行っても、プロに進んでも、野球という専門分野における本質を考える時間の量は変わらないと言えるだろうし、むしろ他の勉強をせずに野球のことだけを考えることができる分、プロのほうが有利かもしれない。
もちろん、プロ野球で食べていける選手は一握りなので、リスクヘッジという意味では大学にいっておくことの意義もあると思うが。
 
 
こういった視点で、私の学生時代を振り返ると、コンセプチャル・スキルをトレーニングする機会に恵まれていたと思う。
1年のときから何か考えさせられたり、プレゼンさせられるような授業が多く、とくに3年次には、学部でも一二を争う「エグい」ゼミに入ったこともあり、鍛えられたと実感している。組織論や人事論を学ぶゼミだったが、グループワークや企業訪問を通じて、とことん本質を考えさせられたことを思い出す。
 
当時は、サークルの仲間と遊ぶ時間も、ゼミのグループワークに振り向けなければならず、何日も学校で夜中まで議論し、ときには学校で寝泊まりもすることもあり、遊んでいる友だちを羨ましくも思ったものだった。
しかし、今思えば、まさにこの時間がコンセプチャル・スキルを身につけるための時間であり、そのとき鍛えられたスキルが土台となって今の自分を支えてくれていると確信をもって言える。
 
ここ数年、地元の大学生と接する機会があるのだが、知的スキルを身に着けているかどうかというのは、少し話しただけでわかる。中には、高校生(もしくは中学生)に見える学生が多いのだが、これは知的スキルが身についていないからなのだろう。
せっかく大学にいっても、コンセプチャル・スキルは言うに及ばず、テクニカル・スキルも身につかずに卒業してしまうようであれば、大学に行く意義は薄いと言わざるを得ない。
 
ということで、私には高校受験を控えている姪っ子がいるのだが、ちょっと早いけど、このような内容を噛み砕いて伝えてあげたいな、と思ったという話でした。