就活時代を振り返る

昨日の記事で、就活生の発言から、自分の本心に正直になるのは難しいということを書いた。人のことは冷静に分析することができるのだが、実は自分が就活生のときも同じような状況だった。
せっかくの機会なので、自分の就職活動がどんなだったかを振り返っておきたいと思う。
 
私は大学3,4年で、組織や人事のことを研究するゼミに所属していた。
私が所属していたキャンパスで一二を争う「エグい」ゼミと言われていて、大学3年の前期は、4,5人のグループに企業が割り振られ、その企業の人事制度についてまとめるという課題を出されていた。最終的には、その企業の役員相手にプレゼンをするという課題である。
毎週行われるゼミでは、それまでの1週間で企業にインタビューした内容をとりまとめたり、前週に受けた指摘を修正して発表するのだが、毎度上級生や院生からけちょんけちょんにダメ出しをされる。そのダメ出しに対する答えをまた1週間で考えないといけないという流れだった。
ちょっとでも理屈の弱い部分があると厳しくツッコまれるので、毎日グループで議論して課題に取り組むことになる。学校で徹夜するのも日常茶飯事で、なかには家から布団をもってきて泊まる猛者もいた。
そんなゼミだったので、就職には困らないと言われ、実際先輩たちも有名企業に就職していった。
 
当時は、正式には4月から就職活動が解禁という立て付けではあったが、前年末くらいから選考活動は始まり、年明けくらいからは本格化していたと記憶している。
そんな中、私としては3月末までには、3社くらいから内々定をもらって、どれにしようか迷うということを想像しながら就職活動を始めた。
 
私の志望業界や職種は、組織・人事のゼミということもあり、人材関係の会社とかコンサルティングファームを中心に受けていた。
昨日の就活生同様、コンサルタントへの憧れのようなものがあり、知的なイメージの仕事をしたいと本心では思っていた。
 
いざ、就職活動がはじまると、筆記試験は問題なく通るのだが、面接がうまくいかない。自分のことをうまく説明できないのである。
当時の自分としては、自分のことを良く紹介するのは照れくさいし、難しいと感じていたのだが、今思えば自己紹介も志望動機も深堀りが甘いだけだった。
受ける面接のほとんどで躓いて、なかなか前に進まないという状態が続いた。
 
1つの区切りと考えていた3月末には内定はゼロ。自分としては余裕で内定をとる気マンマンだったので、多くの会社にエントリーしていなかったことも仇になり、選考に残っている会社もゼロになった。
仕方がないので、そこから再度数社エントリーしてリスタート。どうにか5月末には4社で最終面接ないしはその一歩手前まで進むことができた。
しかし、そのうち3社からは内定が出ず、残り1社がダメだったら、6月からまた再出発という状況になった。
 
結果から言えば、この残った1社から内定をもらうことができた。外資系IT企業の人事での職種別採用だった。
この会社の選考はちょっとユニークで、筆記試験の後、1次面接がグループディスカッション、2次面接がプレゼンテーション、そして最終面接もグループディスカッションという内容で、ほとんどと言っていいほど、自己紹介や志望動機について聞かれなかった。
ディカッションは小さいころから得意でお手の物、プレゼンテーションもゼミで鍛えられていたこともあり苦手意識はなく、むしろ好きだった。要するに、ただただ選考方法と相性がよかっただけなのである。
おそらくこの会社でも、それまでの活動や志望動機などを深く聞かれていたらボロが出ていただろう。
 
結局私は就職活動を通じて、自分の本心に向き合うということなく、内定をもらうことができてしまった。
それもたまたま選考方法が得意だったというだけであった。この会社にエントリーしていなければ、もっと長い間就職活動をしていた可能性が高い。
人のことは言えないのである。
 
その会社には翌年入社し、結果として6年在籍した。
今のうちの会社の事情で地元に帰ることになったが、それがなければもう少し長く在籍していただろうし、もしかするとまだいたかもしれない。
会社との相性はよかったと思うし、けっこうバリバリに働いていたが、疲弊するようなこともなかった(一時期ちょっとあったけど)。振り返っても、充実したサラリーマン時代だったと思う。
そう考えると、就職なんてものは相性の問題で、うまくマッチングするかどうかとも言えるので、昨日の就活生にはいい相手に巡り会えるようがんばってほしいと思う。
 
ということで、人のことはよくわかるが、自分のことはなかなかわからない、という話でした。