先日、家族で「映画ドラえもん 新・のび太の海底鬼岩城」を見てきた。
妻が子どもたちと見に行ってくるというので、その間自分は自由時間ができていいかなと思ったのだが、昔見ているはずの海底鬼岩城をまた見てみたいと思い、私もいっしょに行くことにした。
そんな海底鬼岩城、今回の新作と旧作で基本的にはストーリーは変わっていないようなのだが、正直旧作のほうのストーリーはほとんど覚えていなかったことがわかった。今回の主役的な立ち回りをするバギーだけはなんとなく覚えていたが、その他のメインどころのストーリーは記憶にあるものとは違った。どうやら、海底鬼岩城とのび太と竜の騎士を勘違いしていたようで、海底と地底、バギーと(竜の騎士で出てくる)スネ夫のラジコンを混同していたものと思われる。
映画の内容のほうは、まあまあこんな感じかなと。のび太の家などの風景は変わらず昭和50年代という面持ちなのに、スネ夫が自転車乗るのにヘルメット被っていたり、熱中症というワードが出てきたりと、時代が錯誤していてちょっと混乱したり、バギーがAI的な位置づけなのにも関わらず友達という言葉がわからなかったりと、ちょいちょい引っかかるところはあったが、全体的にまとまっていたのではないか。
ただ、初期の映画ドラえもんは面白かったという記憶があるのか、名作揃いの印象だが、改めて見てみると、すべてが必ずしもそうでもないのかなと思ったり。時代も違うし、見ているこちら側の年齢も違うし、仕方がないところではあるが、記憶が美化されている側面も大きいなと思った。
ところで、これ見終わった後に気づいたことなのだが、旧作が上映されたのは1983年の春。当時の私は年中から年長に上がる年で、今の息子と同じ年齢だった。リメイク版ではあるものの、息子は私と同じ年齢のときに同じ映画を見たということになる。
もう息子は当たり前に話すし、コミュニケーションもいたって円滑にできる。だからだいぶ成長したように思っているのだが、そこはまだ5歳。私が5歳のときにみた海底鬼岩城のストーリーをまったく覚えていないように、息子の記憶力もそんなものなのだろう。
そんな息子がこの映画のことをどう覚えているのか楽しみだし、そういう意味では、同じ年齢に同じ映画を見ることができたことに、なんとなく意義があるような気もしている。ちょっと無理していっしょに見に行って良かったなと思った次第である。
ということで、映画ドラえもんを見てきた、という話でした。