映画ドラえもんを見て感じた、映画のプライシングに関する考察

先日、家族で上映されたばかりの映画ドラえもんのび太と地球協奏曲」を見てきた。
封切りされたばかりということもあり、お客さんもそこそこの入り。子どもたちは楽しんで見ていたようで、行ってよかったかと思っている。
 
映画ドラえもんといえば、宇宙や地底、海上といった地理的に移動した世界か、過去にタイムトリップする時間的に移動した世界か、パラレルワールドに移動した世界のいずれかを舞台にして繰り広げられる。
映画ドラえもんは今回で43作品目ということで、あらゆる設定で物語がつくられてきているため、これまでやってこなかった設定で物語をつくっていかなければならず、監督ならびに脚本家は大喜利的に新しいことを考えねばならず、大変なんだろうなと思ってみたり。
今回は宇宙を舞台に、時間的な要素も入れながら物語が展開。最近ではこうした舞台設定に加えて、時代を反映した社会問題を扱うことが多く、今回は新型コロナウイルスをモチーフとしたようで、集権的に指示するような明確なボスがいない設定で、いろいろな工夫をしながら物語をつくっているんだな、と感心した。
一方で、映画版にしか出てこないキャラクターの属性や背景の説明が中途半端だったり、伏線の置き方などちょっと雑だなとも思った。
よくこういった物語は、大きな嘘は1つだけついていいが、小さな嘘はついてはいけないと言われるが、最近のドラえもんでは都合のいい設定が多く、小さな嘘がいくつか散見され、子ども向けの映画とはいえ、もう少し丁寧につくってほしいなと思ってみたり。
 
さて、映画の感想はそのくらいにして、本題は映画館のプライシングについて。
今回、家族4人で映画を見に行ったのだが、観覧料は大人2,000円、子ども1,000円で計6,000円。加えて、飲み物やポップコーンなんかも買うと、こちらが4,000円弱。計10,000円近くの費用がかかった。
物価上昇の折ではあるが、家族で10,000円のエンターテイメントとなると、そう頻繁に行ける額ではない。せいぜい年に2~3回くらいというのが一般的となるのではないだろうか。
 
これを映画を配給する側から見るとどうだろうか。
上述したように、今回はまあまあの入りではあったが、それでもおそらく稼働率は30~40%くらい。今回見たシアターの座席数は約200席くらいだったので、人数的には60~80人くらいだったのではないだろうか。これでも多いくらいで、封切りからちょっと時間が経つと、20%くらいの稼働率が一般的かと思われる。
 
それであれば、もう少し価格を下げて、観客数を上げる施策も考えられるのではないかと思った。稼働率をもっと上げて、空席を減らせば売上はもっと上がるのではないか、と。
私が子どものころは、それこそドラえもんの映画を見に行こうものなら、自由席だったので、座れないこともしばしばで、階段に座ってみたこともあった。そのくらいの稼働率になれば、少々値下げしても収益的にもプラスになるのではないかと考えた。
 
そう考えたのだが、次の瞬間、やはり価格を下げるのは悪手なのではないかと思い始めた。
価格を下げることによって、観客は増えるのかという問いに、自信をもってYESとは言えないなと思ったからである。
経済学的に言えば、価格弾力性がそんなに高くないということ。いわゆるエンターテイメントが多様化してきており、とくに映画あたりは、ちょっと待てば無料で見ることもできる世界で、そもそも映画館に来ないような層は、価格を少しばかり下げたからといって、足を運ぶことはないと考えたほうが妥当なのではないかと思えてきた。
 
そんな感じで、映画産業自体がシュリンクしていく中、それでも残っている顧客から高い単価をもらうのが妥当な戦略なんだろうな、と改めて思った次第である。
 
ということで、映画を見に行くにはそこそこまとまったお金が必要になってきている、という話でした。