運動会の意義

先日のこのブログの記事で、娘の運動会について書いた。
最近の小学校の運動会は、少なくとも私の住んでいる地域では、秋開催ではなく春開催が一般的なようで、しかも終日開催ではなく、半日開催がほとんど。そのため、プログラムも私が子どものころから比べるとかなり端折られることになっている。
私が子どものころは日曜日に1日がかりで開催され、各学年で徒競走、ダンスor体操、団体競技の3つがあったので、これだけで3×6学年の18の種目があり、これに加えて応援合戦やリレー、来年入学する子どもたち用の種目や親が出場する種目などがあった。
高学年では団体競技で騎馬戦があったり、組体操があったりして、それらが運動会のメイン種目のような感じもあったが、娘の小学校ではこういった種目も見当たらない。
 
これらに加えて、私たちのころには当たり前にあったリレーがないのがちょっとさびしいところか。
私は子どもの頃、足が速いほうではなかったので、リレーの選手に選ばれたことはないのだが、リレーに出る人たちが正直うらやましいなと思っていた。算数が早く解けるからといって目立つことはできないが、足が速いと目立つことができる。これは不公平ではないか、なんてことも思っていた。
 
そもそも学校での教育の意義を考えると、大きく2つの側面に大別できると思う。
1つはある一定以上の知識や技能を身につける、という底上げ的な側面。もう1つは自分が得意なことを見つけて伸ばすという側面。
後者に関しては、何が自分に向いているかすぐにわかる場合もあるかと思うが、実際にやってみたことによって、これは得意かもとか好きかもということがわかることもあるので、ある程度強制的にいろいろなことに触れることができるというのは学校教育の良い面かと思う。
 
そう考えると、運動会とは体育の得意の人たちが、そのことを披露する場とも言える。
もちろん底上げ的な側面から、みんなができるレベルのことをみんなでやるということも大事だが、そればかりである必要もないかと思う。
最近もあるのかわからないが、徒競走で手をつないでゴールといった、平等になるようなやり方に賛否が分かれたこともあった。今でもどちらかと言うと、平等のほうに振れているような感じだが、年に1回の行事、できる子が目立つような演出ももう少し残しておいてもいいのではないかと思った次第である。
 
ということで、娘の運動会を見て、運動会の意義について考えてみた、という話でした。