運動会のイノベーションは起こらない

先週末、娘の小学校の運動会があった。
コロナ対策のためかどうかはよくわからないが、午前中のみの開催であった。
私が子どものころの運動会は、お昼は家族でお弁当を食べることになっており、母親が朝から家族全員分のお弁当をつくっていたのを思い出すが、少なくとも今回はそういったこともなかった。
 
プログラムも各学年、かけっこ・徒競走とダンス、それに応援合戦と地元の盆踊りくらいである。
私の子どものころは、これに加えて、玉入れ・綱引き・騎馬戦といった団体競技や、リレーがあるのが一般的だったが今回はそれもなしで、多少さびしさもあったが、観に行く親の立場からするとだいぶ楽で、来年以降もこのままだったら助かるなと感じた。
 
ところで、今回の運動会は午前中のみの開催ということでだいぶ縮小されていたが、走って踊ってというプログラムで、私のときと基本的な構造は変わっていない。
 
このような運動会のプログラムはいつから始まったのかはわからないが、私が子どものころ(1980~90年代)はもちろんのこと、私の親の世代が子どものころ(1960年代)も同じようなプラグラムだったとのことなので、60年以上は変わっていない。
 
これだけ時間が変わっても、内容が大きく変わらないのは、ある意味完成されたフォーマットとも言えなくはないが、それ以上に誰も変わることを望んでいないからということが理由であると思う。
ここで言う「誰も」とは、児童・生徒、先生、親の3者である。
 
まず子どもたちには変えようとか変えたいという発想はないだろう。
初めて見る運動会がこのフォーマットで、とくに疑問をもつことなく学年が上がっていく。来年は一学年上の児童がやっていたことを、今度は自分たちがやるんだと、連綿と受け継がれていくだけである。
 
次に先生はどうか。
多くの先生はこれまで通りにやるのものだと思いこんでいると思われる。
中にはもしかすると古臭い運動会は変えたいと思っている先生もいるかもしれないが、仮に思っていても実行に移すにはかなりのエネルギーが必要となるので、そこにたどりつくのはかなり難しいだろう。
ただでさえ忙しい中での運動会の準備、去年とできるだけ同じようにやりたいと思うのが人情だろう。
 
では親はどうだろうか。変えるという発想もないと思うが、いざ変わるとなると変えてほしくないと思うほうが多数派ではないだろうか。自分たちがやっていたのと同じものが見たい、そう考える親のほうが多いように思う。
仮に、先生が新しい運動会を打ち出して実行しようと思っても、前のままがいいと反対する親も出てくるのではないだろうか。それくらい、親の世代は保守的で、子どものことで大きな変化を求めていないように思う。
 
私自身、新しい運動会の形に対するイメージがあるわけではないのだが、いつまでこのフォーマットでやるんだろうかと思っている。
このままいくと、もう一世代後も同じようなことをやっているに違いないと感じている。
 
運動会はそれでも大きな問題はないかもしれないが、これは教育全般に言えることで、環境や目的が変わっているのに手段が変わらず残り続けることをよくある。
時代は大きく変わっており、新しい人材をつくりだしていかないといけない中で、教育が昔のまま変わらないのは、実は多くの人が変わることを望んでいないからではないかと、運動会を見ながら思った次第である。
 
ということで、運動会のイノベーションは当分起こらないだろう、という話でした。