テレビは思ったよりも早く本当にオワコンになるかもしれない

姪っ子が大学受験に合格して、この春から大学生になる。
先日、そのお祝いでいっしょになったのだが、新居ではテレビは置かないと言っていて、ちょっと衝撃を受けた。
 
自分が大学生になったとき、もうかれこれ25年以上前のことだが、さすがにテレビを置かないという選択肢はなかった。
その後、社会人になったときも、大学院に行って再び学生になったときも、地元に戻ってきたときも、当然のことながらテレビは置いていた。
 
ただ、よくよく考えてみると、今では自分もテレビという受信機で、テレビ番組を見ることはほとんどない。朝にEテレ時報代わりにつけているくらいである。
テレビ番組はたまに見るが、これはほとんどスマホを使ってTVerで見るし、受信機のテレビはAmazonプライムビデオかYouTubeを見るのがほとんどになっている。これだって、スマホタブレットでも当然見ることができるわけなので、仮に私がこれから一人暮らしをするとしても、わざわざテレビを買わないかもなと思い直した。
 
姪っ子が生まれたが2005年。スマホが普及し始めたのが2009年あたりなので、完全にデジタルネイティブ世代である。テレビで育ってきたわれわれとは本質的な感覚が違う。
決まったものを、決まった時間に見るという習慣から、無数にある選択肢から好きなものを好きなときに見る習慣の転換は思っている以上に早く進行しているのだろう。
 
そう考えると、受信機としてのテレビも、コンテンツ制作の意味でのテレビ局も、思っている以上に早くオワコンになるのだろう。
受信機としてのテレビを製造するメーカーは他の製品を開発すればいいので、大きな影響はないだろうけど、テレビ局のほうはこれが本業かつ専業なので、待ったなしである。
テレビがオワコンなんて、だいぶ前から言われているが、それでもテレビ局がなくなるところとまでは多くの人は思っていないのではないだろうか。しかし、もう一世代進むころには(30年後くらいには)、テレビ局なんて会社は存在すらしていないかもしれない。
そんなことを、姪っ子との会話から思った次第である。
 
ということで、テレビのオワコン化は思っている以上に早いのかもしれない、という話でした。