翻訳本が読みにくい理由

今年は毎月5冊の本を読むと目標ともって取り組んでいる。
かれこれ15年前になるが、社会人になってから大学院に通っていたころは、月に10冊は読んでいた。その中には学術書も入っていて、なかなか読みごたえのある本も多かったが、割と苦もなく読めていた。
しかし、ここ最近はちょっと厚い学術書がなかなか読めなくなってきている。学生時代と違って、本を読む時間を取るのが難しいというのもあるが、それ以上に読書体力といったようなものが衰えている感じで、かなりきついと感じている。
とくに海外の学術書で翻訳されたものは、もともと読むのに時間がかかったが、最近では手にすら取らなくなっている。
こういった翻訳本、昔から読みにくいと感じることが多いのだが、なぜ読みにくいのか最近気づいたことがあるので、ここでまとめておきたいと思う。
 
まず1つあるのは、翻訳の上手い下手がある。もともとは海外の本なので、日本語ではない言語で書かれている。それを半ば無理やり日本語に置き換えているわけだが、その翻訳が下手くそだと当然読みにくくなる。その本の内容の専門ではない人が訳すと往々にしてわかりにくくなることがあったりする。
 
だが、それ以上に翻訳本が読みにくい理由は、固有名詞がわかりにくいことにあると思う。
経営書であれば、具体的に企業名が出てくることが多いのだが、その企業名に馴染みのないものが多いと、その企業がどんなことをしているのかわからないので頭に入りにくい。これが日本の企業であれば、だいたいどんな企業かイメージがつくので、スムーズに読み進めることができる。
例えば、ビジョナリー・カンパニーという名著があるが、ビジョナリー・カンパニー(1)とビジョナリー・カンパニー2では読みやすさが違ったように記憶している。どちらも海外の企業が多く取り上げられているのだが、1のほうはグローバルにも有名な企業が多いので、スッと入ってくるのだが、2のほうは割りと日本では知られていない会社が多いので、何の業界の企業なのか確認しながら読むことになったりする。
 
また、出てくる固有名詞が、個人名を指しているのか、企業名を指しているのかわからないことも多かったり、人の名前のが複数出てくるとどっちの人だったかわからなくなったりする。
日本の固有名詞であれば、こういう問題は起こりにくい。
 
そんなこんなで、どうしても海外の本は避けがちになっている。うちの会社では、管理職に毎月1冊本を読ませているが、こういった翻訳本を渡すと読書自体が(もともと嫌いなのだが)さらに嫌いになってしまいそうなので、避けるようにしている。
 
とはいえ、当たり前だが、海外に優れた本は多い。分野によっては日本が遅れているものもあったりするので、あまり毛嫌いをしている場合でもない。
読書体力は落ちているが、たまにはちょっと厚手の海外の翻訳本も読んで、いろいろと知識を得ていきたいと思う。
 
ということで、翻訳本は固有名詞が出てくると読むスピードが落ちてしまう、という話でした。