定例化することの意義

この週末の連休で、毎年走っているハーフマラソンの大会に今年も参加してきた。
このマラソン大会、今から15年前、当時大学院在学中に、同級生を誘って以来参加し続けており、今年もその同級生たちと参加してきた。
 
当時流行りかけていたランニングを少し本格的にやってみたいなと思い、まわりのメンバーに声をかけて、大会などにも参加していた。
リレーマラソンみたいなものから、10km、ハーフくらいの大会に参加して、都度打ち上げをやったりしながら、楽しんでいた。
 
その延長線上で、大学院修了後も続いているのがこの大会への参加で、今年も10名を超えるメンバーが集まった。
 
そんな感じで、大学院が終わった後も、同窓会的にこういったマラソン大会に参加しているのだが、最近とくに思うのは、定例化することの大切さ。
私は性格上、けっこう早く飽きがくるほうなので、当初は2~3年この大会に参加したら、今度は別の大会にみんなで出たいなと思っていた。
実際、いくつかの切り口(例えば、東京からそれほど遠くない、フルマラソンはきついのでハーフまで、参加しやすい時期にあるなど)で検索して、そんな大会に出場を呼びかけようと思ったこともある。
ただ、もう離れ離れで活動しているため、コンセンサスを取るのが難しく、消極的な理由で今回も走った大会に参加し続けていた。
 
そうこうしているうちに、この大会への参加が定例化して、今に至るというわけである。
しかしながら、思い返してみると、定例化したことが15年も続いた要因になっていると最近思い始めている。
 
そう考える理由としては以下のとおりである。
仮に、毎年違う大会に参加しようとした場合、次の年にどの大会に出るのかイチイチ決めないとならず、行き先や日程で調整を行う必要が出てくる。大会の細かい情報も収集せねばならず、いろいろな負担が大きくなってしまう。
それに対して、毎度同じ大会に出続けると、毎年はその日は空けておこうとなるので、日程調整の手間がかからない。交通手段なども確立しているので、幹事の手間もレンタカーの確保と宿泊先の予約といった、限られたもので済んでしまう。結果として、コンセンサスをとるためのコストがほとんどかからないため、継続しやすくなるわけである。
 
私のように毎度違ったものがいいと考える人は少なく、予定調和を好む人がほうが(一般的には)多いというのも理由に挙げられるかもしれない。
 
何はともあれ、結果としてこうやって継続しているのはいいこだと思った次第である。
 
ということで、定例化するとコンセンサスをとるコストが低くなる、という話でした。