1日自由な時間があったら何をするか

先日、義両親に小学2年生の娘と2歳半の息子を預けて、私は1日の自由時間を得ることになった。
このように、義両親にはたまに子どもたちを見てもらえるので、非常に助かっている。
こんな感じで1日自由な時間があると思うと、前日から遠足前の子どものようにワクワクしてしまう自分がいる(さすがにそれで寝れないということはないが)。
 
では、こんな自由な1日で何をしたか、以下のような感じであった。
子どもたちを義両親宅に送っていって、すぐに最寄りのスタバに行って、日記やブログを書く。今回は時間がなかったが、できれば読書もしたいところ。
それから近くの日帰り温泉に行って、ランチと風呂・サウナ。
そこからさらに、いつもの公園に行って、ランニングして、子どもたちを迎えに行って、家に帰った。
今回だけでなく、1日自由な時間ができると、だいたいこんな感じで過ごすことになる。
 
ブログ、サウナ、ランニング(さらには読書)と、自分で言うのもなんだが、なかなかストイックな時間な使い方をしているものである。
なかなか確保できない限られた時間の中で、そこに時間を振り向けているということは、これらが本当にやりたいことなのだろう。
他に何かやりたいことがないか考えてみたら、2,3日時間があるのであれば旅に出るのもいいだろうと思ったが、旅先でやりたいことは、やっぱり同じようなことであった(加えて、夜に時間をつくれるのであれば、ソロキャンプに行ったり、旧知の仲の人たちと飲みに出るのもいいかもしれない)。
 
自分のためにすべての時間が使えた独身時代は、こういったことに優先的に時間を使おうとは考えなかった。刹那的に、楽しそうなことに流れていたように思う。
そのときも、ブログを書いたり、走ったりしたいとは思ってはいたが、いくらでも時間があったので、今やらなくてもいいだろうくらいに考えていたように思う。
しかし今は時間がない分、逆に何に時間を使うべきか意識するようになり、何がしたいのかがハッキリしてくる。
そう考えると、時間がないということはネガティブなことではなく、大事に使おうという意識が芽生えて、自分の中で重要なことに振り向けることにつながるのかもしれない。
 
まだ子どもが小さく、なかなか自分の時間を確保するのが難しそうだが、常に自分が何をやりたいのか、どこに時間を割くべきなのか、継続して意識的に考えるようにしたいと思う。
 
ということで、時間が限られていると、何をしたいのか、何をすべきなのかが、明確になる、という話でした。