娘の誕生日に思うこと

今日は娘の6歳の誕生日である。
自分の誕生日はどうでもいいが、娘の誕生日は素直にうれしい。娘は長子なので、娘の誕生日はイコール自分(と妻)が親になった日でもある。
 
そんな娘の誕生日、この6年間を振り返って、そしてこれからのことを考えて、思ったところをまとめておきたい。
 
まず、どんどん生意気になるし、一方でまだまだ甘えん坊ではあるのだが、順調に成長してくれてることに感謝したい。
妻にも感謝したいし、いつもサポートしてくれる私と妻の両親や家族、幼稚園の先生にも感謝したいし、娘自身にも感謝したい。もしいるのであれば神様的な存在にも感謝したい。
1年1年積み重ねることができることがありがたいことだと身に沁みて感じる。
 
次に、この1年を振り返ると、だいぶ語彙も増えてきて、一人の人間としてコミュニケーションできることが増えてきたと感じている。
ちょっとした幼稚園での出来事や、小学生になってからのこと、休日に何するかの相談など、一方通行でない会話ができるようになってきた。
これからもっとそういった話ができるようになるかと思うが、それも小学生の高学年くらいになると少なくなってくることが予想される。
それまでの時間、1対1の会話ができることはありがたいことだと認識して、できるだけ多くの会話できるように心がけたいと思う。
また、だんだんと会話が少なくなってくる時期であっても、何かあったときに相談してくれる存在ではいたいので、そうなれるようなコミュニケーションもあわせて心がけたい。
 
あと、娘は自分の誕生日の意味をかなりハッキリ認識できるようになってきているが、娘が独立するくらいのころには、自分が生まれたときに親である私たち夫婦がどんなことを思ったか、想像できるような子どもに育ってほしいなと思う。
何も産んでくれたことや育ててくれたことに感謝してほしいと言っているわけではない。
ただ、私自身は自分の誕生日は親に感謝をする日だと思っており、感謝ではなくても、ちょっとだけ自分が生まれたときのことを想像できるような、そんな子になってほしいなと思うわけである。
 
つらつらと娘の誕生日に思うことを書いてみたが、こうやって書いてみることで、どういう教育というか子育てをすべきか考えるいいきっかけになった。
娘と息子の誕生日には、子育てや家族について考えるいい機会になりそうなので、今後も継続的に考えてたり、それまでに書いたことを読み返したりしてみたいと思う。
 
ということで、子どもの誕生日は子育ての方針の棚卸しになると気づいた、という話でした。