小学校からの配布物の多さ

娘が小学校に入学して1年が経とうとしているが、小学校からの配布物が多いことに最近気づいた。
普段、いちいち目を通すのは億劫なので、毎度ためておいて週末とかに確認しているのだが、中にはこちらから提出が必要なものもあったりして、たまにあわてたりしている。
 
この配布物の多さだが、私が子どものころに比べると、格段に増えているように感じる。
集金に関するお知らせあたりは、引き落としなんだから毎回配らなくてもいいかと思うが、こういったお金の関係はきちんとやっておいたほうがいいという意味ではまだ理解できる。
ただ、給食の献立が事前にお知らせしていたものと変更になったのでそのお知らせとかわざわざしてくれなくていいし、校長先生のポエム的なおたより(揶揄しているわけではないが、他に適当な表現が思い浮かばなかった)も毎度目を通せていない。
 
一方でこういった配布物の中には、上述したようにこちらから提出しないといけないものだったり、面談やイベントのスケジュールのお知らせのような重要なものも紛れている。
感覚的には2割くらいがそういった重要なお知らせで、残りの8割は不要不急の内容のお知らせやチラシだったりする。
 
で、この配布物、2つの面でなかなか厄介である。
 
1つは、必要なものと不要なものを仕分けしないといけないこと。
2割の必要なお知らせか、それとも8割の不要なものかをパッと見て判断しないといけない。
もちろん、集中してやればなんてことない作業なのだが、疲れているときや時間がない朝にやろうとすると、思いの外エネルギーが必要だったりする。
 
もう1つは、その必要なお知らせをきちんと読む込む必要があること。
学校の先生がつくる文章はお世辞にもわかりやすいとは言えない。ビジネス文書としては冗長であったり、必要な情報が一目でわからなかったりする。
あわせて、期限があるものや、日程調整が必要なものは、スマホを開いて自分のスケジュールを確認しながら目を通さなければならない。
こちらも、1つひとつはなんてことない作業なのだが、きちんと確認しようとすると、それなりの時間と精神力が求められたりするのである。
 
そんなこんなで、学校からの配布物は必要最低限のものに絞ってほしいと思っているが、一方で、今後増えることはあっても減ることはないんだろう、とも思っている。
説明責任が求められる時代の中、学校や先生からの配布物が過剰になってしまうのは、やむを得ないこととして、あきらめるしかないのかもしれない。
 
ということで、学校からの配布物が多くて困る、という話でした。