子ども手当は、子育て費用の援助なのか、子どもを生んだことに対するごほうびなのか

岸田内閣の「異次元の少子化対策」が話題になっている。
専業主婦の扶養の問題や年収の壁なんかも加わって、税制にまで及んだ議論がいろいろなところで展開されている。
 
ところで、ちょっと前のことだが、市役所から、あなたは年収が一定以上あるので子ども手当が支給されません、といった趣旨の封書が届いた。
正直なところ、子ども手当に関してはもらえるものであればもらっておこうということで、これまで支給してもらっていたが、ないならないでかまわないという感じではある。しかし、一方的にその解除通知が来て、なんとも微妙な気持ちになったのを覚えている。
 
私は経営者ということもあり、収入は平均よりも多くあると認識しており、この子ども手当がなくても養育していく費用に困ることはないと感じている。ただ、税金や社会保障費で年収をベースに(しかも累進税率で!)徴収されているのに、手当でも年収で区切られることには、違和感を覚えるというか二重課税されている気分にはなってくる。
また変に複雑な制度にすることで、お役所の人たちの余計な仕事が増えることにも疑問はあったりする。
 
と、不満をというか愚痴のようなものをつらつらと書いてみたのだが、子ども手当のような政策、そもそもの目的が不明確なので、政策の一貫性がなかったり、議論が噛み合わないことがあるような気がしている。
 
どう不明確なのか。
それは、子ども手当の目的が、子育て支援なのか、少子化対策なのか、がはっきりしていないということである。子育て支援少子化対策、これは似て非なるものである。
子育て支援は、生まれた子どもが成長するために必要な支援をするものであり、少子化対策は、子どもが多く生まれるように仕向けるものである。
もちろん、この両方の目的に合致する政策も多々あるが、少なくとも子ども手当については、そのどちらが主の目的なのかが明確ではない。
 
もし、子育て支援が目的である、ということであれば、ある程度所得の多い人に対しての支給は必要ないだろう。
しかし、少子化対策として、子どもを生むことへのインセンティブと考えるのであれば、所得制限はなじまない。
 
このあたりが不明確なまま、政策を立案するものだから、所得制限をかけてみたり、みなかったり、ふらふらした対応になるのだと思う。
 
と、そんなことを考えていたら、また市役所から封書が届いた。
長引くコロナ禍や物価高騰の影響から、学びや体験の機会が減っているという理由で、「子どもたちへの臨時特別給付金」なるものが配られるとのこと。
うちにも届いたということは、おそらく所得制限はないのだろうと思う。
 
正直、こんな一貫性の対応するなよと憤ってはみたのだが、せっかくのことなので、申請書を書こうかなと思っている次第である。
 
ということで、目的があいまいだと、手段はふらふらする、という話でした。