理想の休日を過ごして

普段、私は休日に、娘(小学1年生)と息子(2歳)を連れて出かけることが多い。
ドライブして、ショッピングモールに行ったり、美術館に行ったり、動物園や水族館に行ったり。だいたい、帰りに温泉に行くパターンが多い。
 
そんな週末を送っているのだが、昨日は子どもたちが義両親の家に遊びに行くということで、自分だけの自由な時間をもつことができた。
あれもしたい、これもしたいと、自由な時間があればやりたいことはたくさんあるのだが、実際以下のような1日を過ごした。
 
午前中は、カフェで、読書をしたり、日記やブログを書いたり、溜まっていた仕事をしたり。ゆっくりコーヒー飲みながらくつろぐという感じにしたかったのだが、ちょっとバタバタした感じで、やりたいこと・やらなければならないことを片づけていった感じになってしまった。とはいえ、集中していろいろなことに取り組むことができ、なかなか充実した時間となった。
 
昼からは、時間があればやりたかった長距離走を実施。今年はランニングに力を入れたいと思っているが、早くも20km走を行うことができた。
ペースは6分/kmと決して速くはないが、これを継続できれば、今年の目標のサブ4も見えてくるということで、これまた充実した時間となった。
 
最後は、スーパー銭湯に行って、風呂とサウナ、さらにはマッサージまでしてもらった。
普段、子どもたちと風呂に行くことは多いが、正直ゆっくりすることはできないし、サウナに入ることもできない。これが一人だと、しっかりと自分と向き合いながら、ゆっくりとした時間を過ごすことができる。
できれば、混んでるスーパー銭湯ではなく、人の少ない旅館の日帰り温泉とかに行きたかったが、それでも充実な時間となった。
 
こんな感じで、すべてではないが、今やりたいと思うことを詰め込んだ充実した理想の休日を過ごすことができた。
 
それは本当によかったのだが、こうやって並べてみると、独身時代であれば、何の問題もなくできたことばかりである。
日記やブログを書いたりということは、面倒くさがって、やっていなかったし、走る時間もいくらでもあったが、どちらかというと健康のためにいやいや走るといった感じで、走るという行為を楽しめていなかった。
あのころはもっと自由な時間を大事すればよかったと、今さら思ってみたりする。
 
こうやって改めて考えてみると、いくらでも時間があるときには、時間の有り難さに気づかない、ということに気づく。裏を返せば、制約があるからこそ、その大切さに気づけるということかもしれない。
そう考えると、今は昔の自由な時間がいくらでもあった時代を思い出して、うらやましがっているが、今の子どもたちと過ごせる時間も、今だからこそであって、後から見ればもっと大切にすればよかったと思ったりするのかもしれない。それであれば、この子どもたちとの時間ももっと積極的に楽しまないといけないなと思った次第である。
 
ということで、自由な1日を過ごして、日頃の子どもたちとの時間も有り難いということに気づくことができた、という話でした。