なぜ子どもは雪ではしゃぐのか

今朝、私の住んでいる地域ではめずらしく、朝から雪が積もっていた。
ここまで積もるのは年に1,2回程度というくらいのそこそこの量で、年内にこれだけ降ったのは数年ぶりではないだろうか(といっても、年に数回しか降らない地域の雪なので、たいしたことはないが)。
 
そんな雪を見てはしゃぐのは子どもたち。
普段はだらだらして、朝なかなか家を出ない娘(小学1年生)も、雪が積もっていることを知るや、準備そっちのけですぐにでも出ようと言い出す。
いざ学校に向かう段になると、そこらにある雪を集めて、ボール状に固めて歩く。ちょっと歩いては積もっている雪を集め、またちょっと歩いては雪を集め、といった具合でどんどん雪は大きくなっていく。普段から歩くのは遅いのだが、今日はいつにも増して、時間をかけながら登校していた。
 
今どきそんなことをしているのはうちの娘だけではないかと思ったが、後から来る同学年の男の子たちは、さらに大きな雪のかたまりをもって歩いている。こういった年代では、男の子のほうが(いい意味で!)馬鹿だと思うが、うちの娘は男の子のそれと同じだなと思いながら、きゃっきゃしながら登校する娘を見ていた。
 
ところで、なぜ子どもたちは雪を見てはしゃぐのだろうか。
私はどちらかというと冷めた子どもだったので、あまり雪ではしゃいだ記憶はないが、それでもけっこう積もったときはかまくら作ろうなんて言って庭で雪を集めたことはあった(うちの地域でかまくらができるほど積もることはないのだけど)。
 
なぜなのか、ちょっと考えてみたが、しっくりくる回答が出てこない。
進化生物学の観点から考えると、雪が進化に有利に働くとは思えない。むしろ、狩猟ができずに困るはずで、雪は嫌悪の対象になるはずである。
雪や寒さで絶滅した集団も多そうで、DNAの継承という観点から考えると、マイナスでしかない。
 
それでも、考えられることとしては、文字通り生存者バイアスということで、今残っている人たちの祖先は、雪が原因でDNAの継承が途絶えたわけではなく、どうにかなってきた人の末裔が我々だから、雪を嫌悪しないのかなと思ったりもした。しかし、それだったらヘビだって同様に嫌悪の対象にはならない。
 
とはいえ、今残っている人たちの祖先は、やはり雪が生きていく上で致命的な問題にはならなかったのとうことはあるかもしれない。
また、雪の影響が比較的短期であったならば、その期間は狩猟に出ることができない小休止の時間になり、とくに子どもにとってはそれが歓迎されていたということはあるかもしれない。
ただ、これとて、すっきりした回答ではない。かなり論拠が弱い。
 
ちょっと考えてみただけではいい回答は得られなかったが、今シーズンはまだまだ雪が降りそうなので、子どもたちを観察しながら、継続して考えてみたいと思う。
 
ということで、雪が降って子どもたちがはしゃいでいた、という話でした。