アントニオ猪木死去に想う

昨日、スマホTwitterを見ていると、アントニオ猪木死去のニュースが入ってきた。
言わずとしれた、プロレス界のレジェンド。
私は昭和後期生まれということで、猪木のプロレスは何度も見たことはあるが、すでに全盛期は過ぎていた。馬場とともに大御所の人という認識で、熱狂したのはその次の世代以降であった。
 
私がプロレスにハマった期間は2度あった。
1回目は小学生高学年のとき。
当時はすでに新日のテレビ放送は土曜夕方に変わっており、たしか全日のほうはまだゴールデンタイムにやっていたように記憶している。
すでに時代は長州・藤浪・鶴田・天龍あたりが中心で、上述したとおり、馬場や猪木は現役ではあるものの、すでに大御所的なポジションであった。
このころ長州の移籍騒動などもあったが、子どもとしてはそのあたりの構図がよくわかっておらず、新日のほうをよく見えていたが、全日も含めて楽しいんでいた。
私は野球も小さいころから好きだったが、地方ということもあり野球中継は嫌いな巨人戦しか放映されなかったこともあり、プロレス放送が野球中継でなくなるときは憤慨していたのもよく覚えている。
 
2度目は、高校・浪人・大学生のとき。
時はさらに下って、新日は闘魂三銃士全盛の時代。小学生のときに新人として出ていた武藤が中心選手になっていた。
まわりで見ている友人も多く、私も高校のころから再度プロレスをチェックするようになった。このときは全日もチェックはしていたが、ハッキリと新日ファンで、三銃士を中心に応援していた。
95年の武藤-高田戦は固唾を呑んで観たし、橋本と小川の一連の戦いはモヤモヤしながら観ていたのを覚えている。
浪人時代はテレビはほとんど見ていなかったが、1.4の東京ドームだけは見ていたし、大学のときは東京に住んでいたこともあり、夏のG1を蔵前まで観に行ったりもしていた。
 
その後、社会人なったあたりから、K-1やPRIDEなどの格闘技ブームもあり、プロレスの冬の時代とともに、徐々にプロレスから遠ざかっていった。
直近のプロレスブームは現象としては理解しているが、有名レスラーの名前がわかるくらいで、しっかりキャッチアップはできていない。
 
こんな感じで、猪木の試合は何度も見たのだが、すでに上がりのポジションで、アリ戦などの全盛期の猪木の記憶はほとんどない。
それでも、子どもながらに、猪木が一番偉い人というのはわかっていたし、その後プロレスの歴史を理解して、その偉大さもわかっているつもりである。
ただ、自分がその熱狂の中にオンタイムでいなかったことに、(時代があわなかったのだから仕方ないのだが)残念というかもったいないというか、そんなことを思ったりした。
 
また、今回の訃報を受けて、YouTube公式チャンネルで猪木最期の言葉という動画を見た。
衰弱した猪木が言葉を振り絞って話しかける姿を見て、こんな弱々しい猪木は見たくないという気持ちと、こんな姿までさらけ出せる猪木はすごいという、相反する感情が湧いてきた。
本当であれば、こんな姿は見せたくない、そう語っていたが、それは本音だろうと思う。しかし、そんな弱さをもさらけだせるアントニオ猪木の強さというか凄みというか深さを感じることができた。
 
とにもかくにも、時代の象徴である人物が亡くなったのは間違いない。ひとつの時代が終わったなどといったことが言いたいわけでないのだが、彼がつくったプロレスというものを振り返ってみたいなと思った次第である。
 
最後なりますが、故人のご冥福をお祈りします。