給食の思い出

昨日のこのブログで、娘が小学校に入学して給食がはじまり、さっそくおかずに手をつけずに全部残したらしいのだが、とくに先生からは何もお咎めはなく、私のときとは大きく違うということを書いた。
今と昔で、先生の給食に対する接し方の違いについて考えていたら、いろいろと給食の思い出がよみがえってきた。
 
私は子どものころ好き嫌いが多く、とくに低学年のときは、給食をまともに全部食べられる日は月に2,3度くらいしかなかった。
食べられないので残します、で済んだかというと当然そういうわけにはいかず、給食後の昼休みも残されて食べさせられていた。正確には給食を前に座って、ただ昼休みの時間が過ぎるのを待っていただけだが。
昼休みが終わり掃除がはじまるタイミングで、ようやくそんな拷問のような時間も終わり、同じく牛乳が飲めずに残っている同級生と、おかずと牛乳を交換して終わり、という毎日であった。
1年生のころからこんな感じで、低学年のときはまともに昼休み遊べなかったと記憶している。
算数の問題を解けなかったからといって残されることはないのに、給食が食べられないから残されるというのは、子どもながらに理不尽だと強く感じたのを覚えている。
 
小学校も学年が上がるに連れ、食べられる献立もだいぶ増えていったが、それでも最後まで食べないと昼休みに入れないという生活が続いた。
たしか小学4年生のときだったと思うが、どうしても食べられないおかずがあって、それでも食べろと言われるので、無理やり食べてすぐにトイレに吐きに行ったところ、食べものを粗末にするなと怒られたこともあった。
食べものを粗末にするなというなら、こんなまずい味付けにするなと思ったことを今でも覚えている。
 
さらに、中学生になっても、この問題には悩まされる。
中学のときは、週に2回は弁当、3回は給食という構成だったのだが、この3回の給食が小学校のときよりもさらにおいしくないのである。
しかも、担任はめちゃくちゃ厳しく、全員が食べ終わるまで、全員が昼休みに行けないという連帯責任ルールだったので、文字通り泣きながら食べていたのを思い出す。
 
高校に入ってからは、弁当か学食か学校に販売に来たパンを買って食べるかになり、ようやく給食問題から解放されることになる。
学食では普通のラーメンやカレーなどが提供されており、取り立てておいしいわけではないが、普通の味付けで普通に食べることができることに感動したのを覚えている。
 
こんな感じで、私は小学校・中学校にわたって給食に悩まされ続けたので、娘には自分と同じ苦しみは味わってほしくはないという思いがある一方で、親としては成長のための栄養をきちんと補給してほしいという思いもあり、ただ残せばいいかどうかについてはなかなか難しい問題かとは思う。
 
給食においては、どこまで食べさせるかについては学校に任せようと思うので、私から口出しするつもりはないのだが、家庭においてどこまで好き嫌いがあっても食べさせるかについては考えていかないといけないと思った次第である。
 
ということで、娘の給食について考えていたら、自分の子どものイヤな思い出がよみがえってきた、という話でした。