娘の小学校入学に想う

昨日、娘の入学式があり、私も参加してきた。
身体よりちょっと大きな制服を着て、身体よりだいぶ大きなランドセルを背負って、小学一年生のできあがり、といった感じの見た目の娘を見て、成長の早さを実感した。
 
先日の幼稚園の卒園式から約半月、今回の入学式で見た目が大きく変わったわけではもちろんないが、ちょっと大人っぽくなったように感じた。
大人っぽいと言うと、いい感じで成長しているようなニュアンスがあるので、口がさらに達者になったといったほうがいいかもしれないが、それでもちょっと変わった感じがした。
 
そう感じた理由は、おそらく2つで、1つはランドセルを背負った小学生として、娘も新たな気持ちにあふれており、それが見た目に出ているということがあるだろう。
やっぱり、ランドセルを背負って実際に学校に行くということは、本人としても小学生になるという自覚を強めていると思われる。
 
ただ、娘が大人っぽくなった感じた理由として、それ以上に私の心持ちが変わったことが大きいと思っている。
それはどういうことかというと、これから娘がどんどん親から(とくに父親から)離れていくことは間違いないのだが、そのスタートがこの入学のタイミングなんだろうなと、私が過度に感じているから、である。
 
思えば、娘が生まれたからのこの6年半、娘と過ごす時間は当初想定していたよりもかなり長く、私がこの6年半で最も多く接したのは娘で間違いない。妻よりもぜんぜん長いはずである。
娘から見れば、トータルの時間はさすがに妻のほうが長いだろうが、休日はいつも一緒に二人で出かけていたので、そういったことも加味すれば、私のほうが一緒に過ごした時間は長いと感じているはずである。
そんな娘がこの小学校入学を機に、徐々に父親から離れていくのは間違いない。それは悪いことではないと、頭ではわかっているのだが、やっぱりさびしい。
まだ実際は離れていく兆しがあるわけではないのだが、そんなことを勝手に想像しながら、入学式でちょっと大人っぽくなった娘の姿を見ていたというわけである。
 
なんて、感傷にひたっていたのだが、その入学式の帰り、娘は教科書を入れたランドセルを背負って私たちのもとに現れると、開口一番「重い、持てない」。帰りの道も、疲れた、もう歩けないと連呼。
そんな姿を見て、わがままで堪え性のない娘に腹が立つと同時に、まだもう少し自分の近くにいてくれそうでちょっと安堵した、という話でした。