入学式雑感

娘の小学校入学式に行ってきたのだが、そこで見たことや思ったことをちょっとまとめておきたいと思う。
 
まずは、学校につくとクラス分けが掲示で発表されていたのだが、その順番が私の時代とは違っていた。男女別に五十音順に名前が並んでいるのではなく、男女混合で五十音順に名前が並んでいた。
ジェンダー問題に配慮してということかと思うが、時代の違いを感じた。
これ自体は別に悪いことではないし、時代の流れなんだろうなと思うが、高学年になると身体測定などで、男女別になることも多く、多少実務的に面倒な感じにはなるだろうとは思った。まあ、それだけの問題ではあるが。
 
次に、娘の学年は3クラスあった。これは私の住んでいる市内の小学校では一番多いクラスということだが、私たちのころから比べるとかなり減っている。
娘の小学校と私が通った小学校は同じではないのだが、私の通っていた小学校は当時市内最大で5クラスあった。その小学校は現在2クラスとのこと。
ちょっと調べてみると、日本で私が生まれた年の出生数は約175万人、娘の生まれたとしての出生数は約100万人。40%以上減っている。クラス数も激減するはずである。
 
入学式自体ははコロナ下ということもあり、逆に必要十分ないいプログラムだったと思う。
とくに来賓の来場は断ってたらしく、挨拶は校長とPTA会長のみで、来賓の挨拶がなかったのはよかった。
ややもすると、来賓挨拶のための式典になりかねないので、これはコロナが終わった後も続いてほしいと思うが、さてどうなるか?
 
他にも、国歌や校歌の斉唱は演奏に切り替わっていた。これはやむなしか。
マスクをしていれば、少々歌ったところで影響はないと思われるが、無理して歌う必要もないといった感じかと思う。
さらに、例年であれば、6年生が入学式に参加するらしいのだが、それもコロナの影響でなしに。これも絶対に必要な演出ではないので、妥当なところか。
 
式の後、記念撮影があったのだが、これは私のたちと異なり、保護者も入っての撮影だった。
私が子どもころは、親も入っている記念撮影は一度もなかったが、いつのころからかこうなったのか興味深いところである。
よくよく見渡してみると、ほとんどの家族で父親も入学式に出席していた。私の父親は、入学式や卒業式の類に一度も参加したことがないが、このあたりと昭和と令和で大きく違う点かもしれない。
 
とこんな感じで、私の子供のころとの相違点、コロナ下で変わったであろう点について、気づいたことをまとめてみた。
とはいえ、個を伸ばすのではなく、組織の中でうまく立ち回る人間を育てるという学校教育の価値観は、私の時代どころか、明治維新終戦以降大きくアップデートしていないことも実感した。
式典自体はきちんと厳かな雰囲気でいいと思うし、挨拶や礼儀を重視することはいいことだと思うのだが、先生たちの言葉の端々から、昔のままの画一的な学校教育を感じたりもしたわけである。
 
ということで、変わることと変わらないことがあることを入学式で感じた、という話でした。