美術展は時間の余裕を楽しむために行くものである

今週は久しぶりに東京に出張に出たのだが、会食もなく時間に少し余裕もあったので、上野で開かれていた2つの美術展に行ってきた。
1つは東京国立博物館で開催されていた「特別展ポンペイ」、もう1つは東京都美術館で開催されていた「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」。
先日、福岡市立美術館で開催されていたゴッホ展に行って以来、こういった美術展に興味が湧いてきて、機会をみては行くようにしている。
 
この2つの美術展、平日というのにどちらも大盛況。入館まで列もできており、それほど待たされたわけではないが、東京くらい人口がいると、一定数はこういった美術館に足を運ぶ人たちがいるのだと実感した。
 
さて、こういった美術展では、展示されているものをただ見るのではなく、その時代や作者の人生といった情報とともに観るのが大事で、こういった情報を得るには、音声ガイドを聴きながら鑑賞するのが手っ取り早いということに最近気がついた。
そこで今回も両方の美術展で音声ガイドを使って鑑賞することにしたのだが、今回に関してはこれが少し足かせになってしまった。
 
今回は時間があったので美術展に行ってきたのだが、とはいえ時間に限りはあり、そこに2つを詰め込んだ結果、音声ガイドを聴くことに集中してしまい、肝心の作品をゆっくり観ることができず、バタバタしながらの鑑賞となってしまったのである。
 
最初に観た「ポンペイ」のほうは比較的ゆっくり観ることができたのだが、そちらでゆっくりしたせいもあって、とくに「フェルメール」では急ぎ足になってしまった。
時間がないので、絵画を見ながらゆっくり聴くという感じではなく、途中で次の音声ガイド番号の絵に移って、絶えずガイドを聴いているような状態であった。
 
おかげで2つの美術展に行くことができたのだが、せっかくの美術展鑑賞、やはり時間にたっぷり余裕があるときに行くべきであると実感した。
美術展鑑賞とは時間の余裕を楽しむために行くものだと言っても過言ではないと思った。
 
そう考えると、短時間で2つの美術展に行ったのは愚行とも言えるが、なかなか東京に出る機会もないので、近くで2つの美術展をやっていれば両方見ておきたいと考えるのも人情。なかなか難しいところだなと思った次第である。
 
ということで、美術展鑑賞を詰め込み過ぎるのも問題である、という話でした。