美術館は絵を見に行くのではなく、芸術家の人生に思いをめぐらすところかもしれない

先日、福岡市立美術館で開催されているゴッホ展に、子ども二人(6歳の娘と1歳の息子)を連れて見に行ってきた。
このオミクロン全盛の時期ではあったが、全員マスクをしているだろうし、会話もほとんどないことから、感染の確率は(ゼロではないが)ほとんどないだろうと判断して行くことにした。
 
いざ会場に行くと、ビックリするほどの人の多さ。チケット予約は入場時間を指定する必要があり、行こうと思っていた時間帯の残数が少ないという表示がされていたので、入場制限があるんだろうなと思って行ったが、どうやらそういった制限はない模様で、文字通りごった返していた(もしかすると、これでも制限がかけられていたのかもしれないが)。
コロナがあってもこんなに人気なのか、コロナで他に行くところがないから人が集まっているのかわからないが、それにしてもゴッホの絵とはこんなに集客力があるのだと驚いた。
 
で、展覧会の内容についてだが…、絵の素晴らしさは正直なところ私にはわからない。これがすごいと言われればすごいのかもしれないけれど、自分の素直な心で見ても、絵を見て感動するといったことはなかった。
絵の技法に関する知識や、絵画の流派(印象派とか抽象派とか写実派とか)がわかっていれば、絵そのものから感じるものもちょっとは違うのかもしれないが、そういった知識もないので、やはりわからないというのが正直なところである。
 
ただ、今回面白かったのは、ゴッホの絵とその人生だけではなく、ゴッホの絵の価値に気づき、それを広めようした人たちのストーリーもあわせて紹介されていたこと。
今回のゴッホ展の副題は「響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」。フィンセントはゴッホファーストネームだが、ヘレーネはゴッホに魅了され、ゴッホがまだ評価の途上にあったころから多くの素描や版画を収集した人。
ゴッホという人は才能あふれる人だったのだろうが、一方でその価値を認め、それを世に広めようとする人がいなければ、人目に触れぬままだった可能性もあったわけで、アーティストとプロデューサー、イノベーションマーケティングではないが、片方だけではこうやって後世には残らなかったのだろうなと、そんなことを感じながら鑑賞した。
 
そんな、二人の人生をうまく紹介しながら、絵画の展示がなされており、絵を描く人とそれに引き込まれ広めようとする人の想いを感じることができる展示であった。
 
そう考えると、絵画の展覧会とは、絵を見に行くのではなく、芸術家の人生に思いを巡らせに行くところかもしれないと思った。
ただ、飾られている絵を見るだけでなく、その芸術家の人生や時代背景といった歴史やストーリーを感じに行くところなのだということに、40代も中盤になってやっと気づいたという感じがした。
 
そういう見方で振り返ってみると、主催者側も、ただ絵を展示するだけではなく、その背景やストーリーを来場者にどう伝えるのか創意工夫を凝らしていることに、想像が至る。
同じ絵が数枚あったとしても、どういうコンセプトで、どういう順番で並べるかで、見ている人の印象は変わってくるだろう。そういったメッセージを伝えるべく準備しているのだろうから、見る側としてもそれを感じに行かなければならないと思った次第である。
 
だとすれば、毎回こういった展覧会では、貸し出しのある音声ガイドは必ず利用しないといけないとなる。
今回は、6歳の娘が音声ガイドのイヤホンをやりたいというので、渋々600円を出して借りたのだが、結果としてはこれが大正解。このガイドがなければ、ただ絵を見るだけで、何がいいのかわからないなと思いながら展覧会を1周して終わったことだろう。
今後、美術館に行くときにはケチらずに必ず借りるようにしたいと思う。
 
ということで、ゴッホ展で芸術家やその絵に魅了された人たちの人生に思いを巡らせてきた、という話でした。