田舎ほど厳しくかつ意味のない感染対策を実施する

先日、福岡市立美術館で開催されていたゴッホ展を見に行ってきたのだが、想像以上に人が多くてビックリした。
正直、コロナ前でもこんな人出にはならないのではないか、というくらいの来場者数で、コロナ下でやることが制限されているからこそ、集中して人が集まっているのではないかと思ったりもした。
 
さて、こんな感じで都市部では、感染リスクが低い場所については無理に閉めたりせずに、通常営業をしているが、それに対して田舎ほど厳しくかつ意味のない感染対策を実施している感がある。
 
以前の記事でも書いたが、私の住んでいる地域では、動物園が休業、図書館が休業、公営の宿泊施設や温浴施設も休業、と行政が関与できるところは軒並み休業している。
比較してもしょうがないのだが、都市部の美術館と地方の動物園では、どう考えても後者のほうが感染リスクは低い。
3密の観点から見ても、屋外で密集もせず、マスクもしているという状況で、動物園で感染する可能性は極めて低いのだが、それでも休業にしてしまう。
 
こんな感じで、全国各地で同様の施設を比較すると、おそらくだが、私の住んでいる地域同様、田舎ほど厳しくかつ意味のない感染対策が実施されているのだろうと思う。
 
どうしてそうなってしまうのか。その理由を考えてみたところ3つ思い浮かんだ。
 
1つは、田舎ほど良くも悪くも住民と行政の距離が近く、同調圧力が働きやすいから。
人口が少ない自治体ほど、住民や関係者の声が行政に届きやすい。とくにこういう時期は声を上げる人の声が届きやすくなる。しかも感染症という未知の部分が多い問題であれば、少しでもリスク下げるように言う声のほうが通りやすくなる状況にはあると思う。
さらには、飲食店関係者と行政の距離も近く、自分たちだけ制約を課されているのに、なんであっちは開いているんだという声も出やすい。
それであればめんどくさいから、行政が関与できる施設は全部閉めてしまえとなってしまうのであろう。結果、悪平等がはびこることになる。
 
2つめは、田舎ほど専門家がおらず、素人判断してしまうということが考えられる。
人口が少ない自治体ほど、感染症に割くことができるスタッフ数は限られてしまう。いわゆる現場の人だけでなく、政策に関与できる人の数という意味でも少なくなる。
となると、1つめ問題と相まって、科学的な判断よりも、感染リスクが少なそうに見えるほうに流れるというのは必然かと思う。
 
3つめは、これまでの経験値の差が出てきているのかもしれないというもの。
都市部であればあるほど、感染の規模が大きいため、良くも悪くも住民も慣れてきているが、それに対して人口が少ない地域では、これまで致命的な状況にならずに済んできたの、住民はいまだに2年前と感覚が変わっていないということも影響しているように思う。
また、政策面でも、都市部ではいろいろと知見がたまってきているが、田舎の地域ではどこまでなら大丈夫でここからは危ないという線引をする機会が少なく、結果今でも初期と同じような対応になっているのではないか。
このあたりは、他の地域の知見から学んでほしいところだが、1つめや2つめの問題と相まって、易きに流れている感がある。
 
と、こんな感じで、人口が少ない田舎ほど、過度な対策が行われているのではないかと感じている。
コロナの問題が起きてからもう2年、さらに続く可能性もあるので、このあたりは科学的かつ他所の知見も活かしながら、行政に対応してほしいと思った次第である。
 
ということで、田舎ほど意味のない対策が今なお行われている、という話でした。