オミクロン型の変異ウイルスがまだまだ猛威を奮う今日このごろ。感染者数は削減傾向にはあるが、横ばいに近い地域も多く、今回の第6波はいつまで続くのか読めなくなってきているように感じる。
ところで、オミクロン型が登場してから、毒性が下がっているので、多少感染力は高くても、普通の風邪のように対処すべしという意見が多くなってきているように思う。
これまで、このコロナ禍で、高齢者の命のを守るために、若者世代の生活が犠牲になってきたが、コロナの毒性も下がってきたのだから、若者の生活や未来をもっと重視すべきだという意見である。
とくにビジネスパーソンの多くには、もともとコロナは風邪だという認識があるようで、ここに来てにわかにこういった意見が活気づいているように思う。
この、高齢者の命と若者の未来がトレードオフであるという意見、今回に限らず、コロナが問題化して以来、よく見る意見だし、一見正しそうなのだが、本当にそうなのだろうか。
いい機会なので、現状高齢者の命を守るために若者の未来を毀損しているという命題が正しいとして、若者の未来を重視するためには、高齢者を優遇すべきはないとなったときに、具体的に何ができるか考えてみたい。
考えられる方策は大きく2つ。
1つは、高齢者の行動を制限して、若者はコロナ前のように普通に行動して、社会・経済を回していくというもの。
この考えは、けっこう前からあり、経済寄りの専門家にありがちな意見かと思う。
ただ、この意見、いつも不思議なのだが、高齢者と若者をどうやってきれいに2分割するのか、という問題にきちんとした答えを見たことがない。
感染症であることから、高齢者グループと若者グループを厳格に遮断しない限り、この考え方は絵に描いた餅になってしまう。実際、家庭や職場などのさまざまなコミュニティ内で、高齢者と若者は混在している。
その中で、高齢者だけ行動しないように閉じ込めておいたとしても、若者が感染し、どこかのタイミングで若者から高齢者に感染する。そうなれば、高齢者のコミュニティでも感染は広がり、結局は医療体制の崩壊につながると考えるのが自然だと思うがどうだろうか。
こうなってしまえば、国が制限をかけようがかけまいが、メディアでその様子は報道され、若者含む多くの国民は行動を制限するようになるので、結局は(高齢者だけ行動を制限しても、全世代に行動を宣言しても)同じことになる。
ということで、1つめの高齢者の行動を制限するという方策は意味がないと考える。
だとすれば、考えられるもう1つの方策は、高齢者への医療提供をあきらめるというもの。
私は常々、コロナの問題は医療体制が維持できるかどうかがカギで、維持できないのであれば何らかの制限をかけないといけないと考えている。
行動制限をかける対象を高齢者だけに絞るのは、(人権上実行できないと思うが)できたとしても上述したとおり意味がないと考えるので、だとすれば、医療崩壊を防ぎつつ、若者の未来を守るためには、高齢者への医療提供をあきらめる、ということになる(厳密には医療崩壊してもいい、という考え方もあり得るが、ここでは割愛)。
よく高齢者がコロナが原因で死亡すると、それは寿命だから仕方がないという意見が散見される。それ自体は1つの考え方としてあってもいいとは思うが、これは治療の結果死亡したケースであって、裏ではそれ以上に治療をして回復したケースがあることが忘れられているように感じる。
この助かるケースも含めて、例えば重症化した高齢者については医療提供をやめるという意思決定がなされて、それによって医療崩壊を防げるということであれば、若者の行動を制限する必要はなくなり、ある程度は若者の未来が守られるかもしれない。
ただ、この意思決定は、理論上ではあり得る選択肢だとしても、今の日本において現実的に選ばれる可能性はゼロに近いであろう。
まだぜんぜん元気な親がコロナにかかって重症化したとして、きちんと治療を行えば、回復する可能性が80%、死亡する確率が20%ですと言われて、医療提供は必要ありませんと答えられる家族はごくごく少数だと思うからだ。高齢者と言っても、寝たきりの人もいれば、元気な人もいるのである。寿命だから仕方ないと言っている人は無意識のうちに前者の寝たきりの高齢者だけをイメージしているように思われる。
以上のように、1つめの高齢者の行動を制限する方策は意味がなく、2つめの高齢者の医療をあきらめるという方策は実行不可能だと考える。
たしかに医療を受ける割合は高齢者のほうが多いだろうが、若者であってもいざというときに医療を受けられないリスクは避けたいと考えるのが自然だと思うので、医療崩壊を避けるという命題を是とするならば、全世代において感染者数を減らしていくしかない。
こと、コロナ問題については、悪いのコロナ自体であって、高齢者を優遇しているように見える政策ではないと考えるのだが、いかがだろうか。
ということで、高齢者と若者をトレードオフの関係で捉えることは意味がない、という話でした。